上出来!!

温子はほくほくと目の前の皿を見つめて、全開の笑顔を振りまいた。
その大皿には真っ黒な炭の欠片が塩こしょう並みに食材に絡まり、食材といえば野菜なのか、 魚なのか、肉なのか判別しがたい。
付け合わせのトマトとキャベツだけが色鮮やかだ。
「るんるんるん♪」
などとまさしくるんるん気分で皿を手に取り、軽やかに歩き出す。
「マミ、マミ、出来たよー」
花瓶の薔薇は深紅で、まっしろなテーブルクロスの上で映えた。
一般家庭よりは明らかに二周りは大きなテーブルに、どん!と抱えていた料理の皿を おろし。
温子はまた魔実也を呼ぶ。
「マーミー!!」
だがしんとして、辺りは彼女の気配しかない。
「変ねえ」
雪絵もアルカードも居ない今日は、張り切って温子が夕食を拵えたというのに。

「マミ〜〜」
魔実也の名を呼びながら、温子ははたと思い当たった。
「そっかー!『上』だ」





くしゅん!!

まだ冬将軍は到達していないとはいえ、夜の大気はことのほか身に凍みた。
「うー、さすがに寒いな・・・」
だがあの料理を食べさせられることを思えば!
魔実也はぶるっと首を振って、ぐっと腹に力を入れた。

温子はかわいい。
しかもナイスバディ(死語)だ。
ちょっとオバカだが、人情もある。
しかし。
彼女の手料理はその長所を吹き飛ばす程の不味さであることを、 今までの経験から魔実也は理解していた。
だからこっそり屋根へ上ったのだ。
なるべくなら視界にも入れたくない代物が、出来上がって来るに違いないからだ。

「しかしいつまでもこうしていられないし、どうしたら・・・」

マミ!!

ぎゃあああっ

「・・・何大袈裟に驚いてるのよ?」
「え?いや、び、びっくりしただけさっ!」
料理に精魂使い果たしたのだろう、よたよたと屋根に登ってきた温子を、 冷や汗をかきながら魔実也は出迎えた。
「夕飯出来たわよー、早く食べよう?」
「う・・・そ、そうだな・・・」

昼間も確かお前の特製弁当を食べたんだぞ?
二食続けて、最大級の努力で
砂を噛むような
ゴムを噛むような
岩を噛むような
料理をどうして腹に収めないといけないんだ?

「マミ?」
それでも懸命に努力して、苦手な料理を作って、こうして呼びに来てくれる 温子に、魔実也は「まずい」とは云えなくて。
「・・・ごめん、ごめん、今行くよ」
頬をほんのり赤らめながら、にっこり頷くしかなかったのだ。
が。
その時。

ずる

「へ?ずる?」

がご!がご!ががががどーん!!

「・・・へ?」

魔実也が照れてる間に、疲労激しい温子は足を滑らし、屋根から勢いよく ずり落ちてしまったのである。

ア、アッコ〜〜!!







「記憶喪失?」
雪絵は目をぱちくりさせて聞き返した。
「・・・そうです」
むすっと唇を引き結んで、魔実也は答える。
「あらあら、まあ!
 じゃマーちゃんのことだけ、忘れちゃってるの!?」
「そうです」
「まあ、まあ、まあまあまあ!!!」
雪絵は目の前で、雪絵が剥いたリンゴを頬張っている 温子へ、思いっきり同情の視線を向けた。
「ふ、ふみまひぇん、おふぁあま(すみません、おばさま)」
口いっぱいのリンゴにめげずに、温子は言葉を紡ぎ。
ぺこりと頭を下げる。
「医者は数日で治ると云ったのに、もう一週間もこの有様で・・・」
「まあああ!わたしが旅に出ている間に、なんて事・・・!!」
よよ、と膝を崩し、泣き崩れたが、 数瞬後勢いよく雪絵は魔実也の肩を掴み揺さぶった。
「そーだわ!マーちゃん!!」
「な、な、なんですか〜?(そんなに揺すぶらないで下さい!)」
「ほら、何か月か前に温子さんの狐憑きを見事に祓った方がいらしたわよね?」
「き、狐じゃありませんよ、れ、れ、霊ですー
 (揺すぶらないで〜)」
「そんなのはどうだっていいの!
 その方を探して、助けてもらいましょう!」
雪絵はやっと魔実也の肩を解放すると、ぽん!と膝を打った。
「サイコーのアイディアだわ!!」
「・・・母さん・・・霊と記憶喪失は分野が違いませんか・・・」
ふらふらする頭を押さえて、魔実也は反論した。
「何云ってるのよー、マーちゃん!
 温子さんに忘れられたままでいいの!?」
「うっ」

魔実也はゆっくりと布団の上の温子を見た。
魔実也親子のやりとりをみて、場違いな雰囲気を感じとったのか、どこか まごついた表情をしている。
「アッコ・・・」

やっと包帯がとれて、額にべたっと大きな絆創膏が貼ってある温子の、 おどおどした視線を受けて、魔実也は決意した。
あの、摩訶不思議な男ならば、彼女の記憶を取り戻すことが出来ても おかしくないような気がしてくる。
特に雪絵が魔実也の背後で暗示をかけるかのように「探すのよ、マーちゃん!!」と 何度も繰り返していると、ついその気になってしまった。

・・・わかりました!!
ザッと立ち上がり、魔実也はきゅっとスカーフを締め直した。
そうして不安そうにこちらを見ている温子の頭をぽんぽんとはたいて。
にっこり笑う。

「・・・ちょっと待ってろ」
「うん―――」

ほんのり頬を染めて頷いた彼女は、とても愛らしかった。







「・・・さて」
だがしかし。
この広い帝都のどこを探せば、あの青年は見つかるのだろうか?
「うーん、住所はおろか、名前さえ知らないんだよな・・・」
だがしかし。
あれ程の特殊能力を持った男だ。
その筋の関係者から話を聞けば、素性も知れるのではなかろうか。
「うむ、地道だけどそれしかないよな」
魔実也は取りあえず最近噂の、胡散臭い霊能者を訪ねようと踵を返す。
だがしかし。



「やあ、呼んだかな?」

☆▲□▼○★◇!!



魔実也は言葉にならない声で叫んだ。
たった今砂浜に落ちた針一本を求めるような、悲壮な決心をして探し出そうとした 件(くだん)の男が。
にこにこ笑いながら、魔実也の背後に唐突に出現したのだから、無理もない(笑)

「お、お、おまえ・・・っ!!」
魔実也はぱくぱくと口を開けたり閉じたりしている。
「何だ?疑問でもあるのか?」
澄ました顔でそう問い返す、黒スーツの青年。
「ど、ど、どうしてわかったんだっ!?」
ビッと右人差し指を突き出し、魔実也はやっと動揺を押し込めることに成功した。
青年はにやりと不敵に笑い、その切れ長の眼をますます細くする。
「・・・呼ばれたからさ」
「な・・・っ!」
誰が呼んでいたというのだろう。
そう聞きたかったが、魔実也はさも当然といわんばかりの、青年の態度に やや気圧された。
冷静になれば、この男を探す膨大な手間が省けたというものだ。
魔実也は己の目的を果たすことを第一に考えた。
・・・この目の前の黒スーツ男の正体なぞ、知ったことではない。
大きく息を吸い込んで。
魔実也もにやりと笑ってみせる。

「あんたに、頼みたいことがある」

青年はただ、張りついたような笑みを見せただけだった。







「まああ!マーちゃん!!
 めちゃめちゃ早かったのね、さすがだわ〜〜」

雪絵はすっかり我が息子に感心して、うれし涙さえうっすらと浮かべた。
「ま、まあ、僕の手のかかったらこんなものですよ」
ばさっと前髪を掻き上げ、魔実也は白い歯をきらりと見せる。
「温子さんから以前聞いてたけど、ほんとにカッコイイ方ねえ」
ニコニコ、ニコニコ、愛想が良すぎるくらいの笑顔のまま、雪絵はふたりを庭先へ通す。
そこには所在なさげに縁側に腰掛けている温子が居た。
彼女は魔実也を見て、ぱあ、と嬉しそうな顔をした。
そして魔実也の隣にいる青年を見て、やや頬を赤らめる。

ちょっと待て!この浮気者!!
温子の反応にむっとした魔実也を差し置いて、つかつかと青年は温子へ歩み寄った。
「・・・久しぶりだな、お嬢ちゃん」
「はい」

温子の頬はますます薔薇色に染まってゆく。
魔実也の頭からは、ふつふつと湯気が湧いていた。

「じゃあ、君の大切な“もの”を取り戻そう」
「・・・・・・」

すい、と青年は温子の額に、その白い手のひらを当てた。
何触ってやがんだ、このやろー!!
今にも飛びかかりそうな息子の肩を、がしっと雪絵が押さえている。
さすがは母である。

やがて青年は温子から離れると、魔実也を振り返った。
「では、仕上げだ」
「・・・あぁ?仕上げ?」
むすっとした顔で魔実也は青年を睨む。
青年の後では温子がやはり戸惑った顔をしていた。
「彼女は君の記憶を失う前に、とても大事なことをしようとしていたはずだ。
 それを果たせてやれば、記憶は戻る」
「・・・大事なこと・・・?」
魔実也は眉間に皺を寄せて考えた。
屋根から落ちる直前、彼女は何をしていたか。

わかった!!

魔実也は大声をあげるといきなり猛スピードで走り出した。
どどど、と台所へ駆け込み、水屋を開ける。
そこにある『物』をひっつかんで、またどどど、と庭へ戻ってきた。
「ど、どーしたの、マーちゃん?」
魔実也が持っている皿の上のグロテスクな品を見て、さすがの雪絵も眉を顰めた。
「あの時、アッコは夕食を食べようと僕を呼びに来た。
 そして屋根から滑り落ちたんだ。
 『これ』はその時、アッコが僕に作ってくれた食事だ!!」
「た、食べ物なの・・・?」
雪絵が冷や汗を思わず白いハンケチで拭った。
青年は「ふむ」とその皿の上の物体を観察する。
「・・・水分の殆どが失われた状態で保存されている。
 これなら食しても問題はないだろう」
「な、なんだって?」
「喰え」

青年は顔を上げて、じっと魔実也を見た。
魔実也はその能面のような表情と、己が持っている物体を交互に見遣り。
思わずごくりと生唾を呑み込んだ。
「こ、この削り節のような物体を食べろと・・・」
「そうだ」
青年の、白い顔の向こうに、心配顔の温子が見える。
魔実也は覚悟した。
よ、よし・・・!!
ガッと『それ』を掴む。

マ、マーちゃあああぁ・・・ん

雪絵の悲壮な叫び声が木霊した。







いつ意識がフェードアウトしたのか覚えていない。
気が付けば真っ暗な中で、自分の身体が揺さぶられていることがわかった。
(・・・ミ)
(マ・・・ミ・・・)
(マミ・・・)

マミ!!

急速浮上した意識が、捉えたその声は。
いつも彼女が自分を呼ぶ声。
自分の、愛称。

がばりと起きあがり、魔実也は辺りを見回した。
涙顔の温子が、自分を覗き込んでいる。

「ア、アッコ・・・」
「マ、マミ・・・」

元通りだ。
魔実也は理解した。
元通りだ。
温子は理解した。
ひし!とふたりは抱き合って、今の幸せを味わう。

数歩離れた先で、雪絵が感動的な場面に涙を拭っていた。
そしていつの間にか消えた謎の青年に、
感謝するのであった――――――







「心配かけてごめんね、マミ」
「まったく人騒がせだよ」

煌々と輝く月を見上げながら。
ふたりは縁側で肩を寄せ合っていた。
「屋根から落ちちゃったのも、記憶無くしたのも、 全部あたしが悪いのにマミにたくさん迷惑かけてごめんね―――」
魔実也が気絶している間に泣き腫らしたのだろう、 まだ目元を赤くして、しゅんとした温子に。
魔実也の心臓がバクバク走り出す。
「こ、今度はさ、ちゃんとあったかい間に食べさせてあげるから!
 ね、マミ」
へへ、と顔を赤くして照れたように笑う温子を。
思わず魔実也はきゅっと抱き締めた。
「マ、マミ・・・」
「ばかばかアッコ。
 今度僕を忘れたら許さないからな。
 思い出すまでしつこくしつこくつきまとってやる!!」
きゅううと背中を包む温かさに、温子はとてもとても嬉しくなった。
「うん、うん、うん――――――」



何度も何度も頷いて。

ずっとずっとひとつになったままの影を、
月の光が照らし続ける・・・


どんどん原作からはなれてゆくふたりをお許し下さい・・・!(>▽<;;
それにしても魔実也の食生活は悲惨そうです(笑)
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