「ねえ、マーちゃん!知ってるの?!」 ばむ、とドアを荒々しく開けて、女性が飛び込んできた。 ふっくらした顔立ちやきらきら輝く瞳が実年齢より遥かに彼女を若々しく見せている。 「・・・何ですか、来客中ですよ、お母さん」 端正な顔立ちした少年が立ち上がり、困ったように頭を掻いた。 「あらあらあら!ごめんなさい。 ちょっと訊きたいことがあったものだから・・・」 「訊きたいこと?手っ取り早くお願いします」 少年―――夢幻魔実也は向かいの椅子の客に向かって一礼して、母親の元まで早足で歩いた。 「あのね、温子さんのことなんだけど」 「失礼」 あつ、と二音を聞いただけでくるりと回れ右しかけた息子の肩を、彼女はむんずと掴んだ。 「マーちゃんったら、最後まで聞いてよお」 「・・・はいはい」 母のことをよく知っている息子は、すぐに観念して頷いた。 側にいたアルカードに客の相手を任せて、廊下へ出る。 母親は嬉しそうな、それでいて勝ち誇ったような表情(かお)をした。 「ねえ、マーちゃん。 温子さんの最近の様子に気付いて?」 「は?」 「あのいつも元気で賑やかな人が、時折溜め息を吐いたり、ぼうっとしてたり。 ぜぇったい、何かあったと思うの。 マーちゃん、知ってるんでしょ?教えてちょうだい?」 「・・・知りませんよ!!」 母の流暢な言葉に次第に目尻を上げていた魔実也であったが、温子の変化はさも自分に 関係があるような言い草に剣呑になった。 「大体あいつはいっつも変なんだから、多少のことは取るに足らないことですよ! そんなことで仕事の邪魔しないでくださいっ!」 「まあ、マーちゃん、照れなくても・・・」 ばむ!! にこにこと微笑む母の眼前で、再びドアは乱暴に閉められた。 「おや? また会ったね、お嬢ちゃん」 すらりとした黒スーツの青年が、紫煙を燻らせながら唇の端だけで笑った。 切れ長の瞳は漆黒で、夜の闇を連想させる。 「あ、はいっ! せん、先日はほ、ほんとうに、あり、ありがとう・・・」 ひまわりの花びら色に染め上げたポニーテールを揺らして、温子は慣れない敬語に 舌を縺れさせた。 青年はすでにそのことを把握したようで、ははは、と小さく笑い声をあげる。 その表情に見惚れるようにして、温子はぽっ、と頬を染めた。 「いいさ、そんな大したことはしていない。 それよりもこんな往来で再会したのも何かの縁だ。 少し付き合ってくれるかな?」 物腰優雅に、低くも高くもなく耳障りの良い声が鼓膜をくすぐる。 温子は思考する以前に、何故か首を縦に振っていた。 と、くるくると回転しながらふたりの間に割り込んで、いきなり彼女の右手首を掴んできた影があった。 「ん?」 「あっ!!」 青年は微かに目蓋を持ち上げただけだったが、温子は飛び上がるくらい(実際15センチは飛び上がった)驚いた。 青年と温子の間に、まるで疾風の如く登場したのは、やはり黒スーツをきっちり着こなしている少年『夢幻魔実也』だったのだ。 「マ、マミ!? どーしたのよ、いきなり」 「ふっ、いきなりも何もただ通りを歩いて、見かけた知り合いに声を掛けようとしただけだ」 ・・・きらっと光る白い歯がまぶしい。 「ほう、君は彼女の友人か」 小馬鹿にしたように、目を細めて青年は魔実也を見下ろす。 「ええ、『知り合い』です」 魔実也の不自然な力の入れように、青年は可笑しそうに唇の端を吊り上げた。 両者の間の不自然な空気の流れに温子は首を傾げたが、とにかく青年を魔実也に紹介しはじめる。 「あのね、マミ。 この間ぶらぶらしてたら柄の悪いのに絡まれちゃって。 危ういところをこの人に助けてもらったの!」 うきうきとしゃべる温子はやはり楽しそうだ。 魔実也はぴくりと右眉をあげると掴んでいた彼女の手首ごと、 ぐいっと彼女を引き寄せる。 「それはそれはアッコの『知り合い』として礼を言います。 では、失礼!」 踵を返して背を向けた魔実也だったが、ふわ、と鼻先に一陣の風を感じた途端、自身の意志に反して、くるりと身体が翻った。 目を剥くと、眼前に青年の白い顔と紅い唇がぬ、と突き出される。 「な?な!?」 温子は訳が解らずに頭上に?マークを三つほど浮かばせていた。 「まあ、待て。 まだ用がある」 青年は不似合いなほどにっこりと笑って、 だが温子はまたそれに頬を赤くなんかさせる。 (なんだよ、いっつもマミマミって僕のストーカーしてる癖に!!) 温子が擦り寄っても煩わしそうにかわしている彼がそんな感想を持つのは道理ではない 気はするが、とにかく魔実也は苛ついていた。 (しかもさっきのはなんだ?コイツ妙な力を使う・・・?) 「お嬢さん」 青年は満面の笑みを浮かべたまま (しかしそれはどうも張り付けた面のように思えたが)、 温子の方にやや腰を屈めた。 「な、な、なんでしょうvv」 「良かったらこれから僕と、ある場所へ行って欲しいんだが」 「え?え?あの・・・」 「お断り」 ずずずい、とふたりの間に身を乗り出して、魔実也はにかり、 と歯を剥き出して嗤う。 だが青年はそのことを歯牙にも掛けなかった。 「ほう、心配なら君も一緒にどうだ」 「はあ!?」 「君は彼女の『知り合い』で『保護者』のようだから」 青年は目を細めて唇を吊り上げた。 それは青年が温子へ向ける満面の笑みよりもずっとその青年らしい、背筋が凍るような 微笑み。 (ぬぬ・・!) 魔実也の第六感が警告音を鳴らし続ける。 「・・・わかりました、同行させてもらいます」 受けて立つ、そんな心意気で魔実也は承諾した。 温子は相変わらず魔実也の不機嫌の理由が、解っていない。 青年は彼らをどんどん人通りから離れた淋しい小径へと導く。 魔実也はぎんぎんと目を光らせて、青年の一挙一動を睨み続けた。 やがて、彼らは小さな墓地に辿り着いた。 「なんなんだ?一体」 墓地がデートコースか? いや待て、この女たらしは邪魔な僕をここで伸(の)して、 アッコとふたりきりで、なんて企んでいるのか? ふん、そんな事はさせるか、反対に僕が伸してやるっ!! 随分独り善がりな思考に魔実也が陥っていると、青年が厳しい顔をしてある墓を 見つめた。 「あれだな」 「あれ?」 青年の視線の先を、魔実也も身を乗り出して確かめる。 角が取れて丸くなって、ひび割れた小さな墓がそこにあった。 「あれが一体なんだって・・・」 文句を言おうとして、魔実也は隣の温子の様子がおかしいことに気付いた。 張りがあって血色の良い肌が、くすんだ蒼を滲ませ。 気っ風のいい言葉を吐く桃色の唇が、全く色味を無くしている。 「アッコ・・・?」 これはまずい。 何がなんだかわからないが、魔実也はそう判断して温子へと手を伸ばした。 その途端、温子が低く呻りながら駆け出す。 「アッコ!」 「捕まえろ!!」 魔実也が叫ぶのと青年が叫んだのはほぼ同時だった。 弾かれるように魔実也は飛びはね。 温子の足首を掴んだ。 地面に転がりながら、暴れ狂う温子を巧みに押さえ付ける。 「こら!しっかりしろ、僕だ!!よく見ろ!!」 びんたを喰らわそうとして飛んでくる彼女の手も押さえ付け、全身で動きを 封じようとする。 互いの顔が触れるほど近くなって。 まるで獣の様な形相の彼女に、 魔実也はきりきりと胸を締め付けられるような思いだった。 「・・・早くしろ!!」 上がる息の合間に青年へ向かって叫ぶ。 「よく解らないが、あんたは“この事”を防ごうとしたんだろ? 早く何とかしてくれよっ!」 青年はゆっくりとふたりへ近づいてきた。 うっすら浮かべた笑みは、どこかしら愉快そうだ。 「―――たいしたものだよ、君は」 そうして、魔実也に押さえ付けられている温子の 額にぴたりとその白い手のひらを当てる。 「・・・“お前”の居場所はこの墓だ、血迷うな!」 ずずず・・・ 青年の手のひらが温子の額から離れた時、真っ黒で輪郭がボンヤリした影が引っ張られるようにして引きずり出された。 そのまま青年は影を叩き付けるように、 先程の古ぼけた墓へ腕を振り下ろす。 ババッと光が奔った。 「あ、あれ?あれれ?」 暫くして目を覚ました温子は、彼女の肩を抱いて心配げな様子の魔実也にちょっと びっくりした。 「マ、マミ、どうしたの?」 魔実也はくしゃ、と顔を歪めて口をへの字に結ぶ。 「・・・お嬢さん、すまなかった。 先日会った時は“薄くて”気付かなかったが、今日はかなり強くなっていたものでね」 「はい??」 地面にへたり込んでいるふたりを見下ろすように、青年が腰を屈める。 「かわいいお嬢さん、墓地の側を通る時は注意することだ」 青年はするりと長い指先を伸ばして、ばらけた温子の髪を軽く撫でつけた。 「あ、こら!・・・れ?」 魔実也がその指をはたき落とそうとしたが、気付くと青年の姿は掻き消えていた。 「・・・ちっ」 魔実也は悔しそうに舌を鳴らす。 (この僕以上に登場も退場も素早いヤツがいるなんて、憤慨だ!! しかしヤツは一体なんだ?霊能者か?) 「ねえ、マミ」 ぶつぶつ文句を垂れ流す魔実也に向かって、温子が小首を傾げて顔を覗き込んだ。 「なんだよ?」 「あの人、かっこいいね」 「あんなヤツのドコが・・・っ」 「マミに似てると思ったんだよ」 「・・・は?」 温子は顔を真っ赤にして、照れくさそうに頭を掻いた。 「マミがあと少し成長したらあんな風に素敵になるのかな、って思 い始めたらもうどきどきが止まらなくて。 ここ四、五日は困っちゃった」 えへへ、と舌を出して。 首まで真っ赤にして。 「―――・・・・・・アッコ」 魔実也が一瞬固まって、そうして今度は溶けたアイスクリンのようにとろんと 締まりのない顔になった。 温子も嬉しそうに笑って。 彼の頬に小さくキスを送った。
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