ぶんぶんと耳元で蚊が飛んで行く。
生理的に落ち着かないその音が彼女の嫌悪感を更に掻き立てる。
鬱蒼とした森の中は思ったよりも寒々として、無意識に背中が丸まった。

「・・・センセ、もう帰りましょうよ」

それでも声は凛としていつもの強気を崩さない。
彼女の前を歩く黒いスーツの青年―――夢幻魔実也は銜えていた煙草を落として踏み消すと 彼女の方を振り向いて笑った。

「だから宿に残ってれば良かったんだ」

「あんな陰気くさい村人しかいないとこに一人きりなんて真っ平御免ですよ。
 センセと一緒の方がどれだけ気が楽か」

肩で切り揃えた黒髪が大きく揺れて、ふんと女は鼻を鳴らす。
青年は馴染みの女給の想像通りの態度に含み笑いながら答えた。

「わざわざこんな田舎に付いてこなくていいと言った筈だがな・・・」

女はにまりと笑って彼の胸の辺りを軽く叩く。

「あたしが一緒なんてあの“おぼこ”にばれたらさぞうるさいでしょうねえ。
 なんだかそれを想像すると楽しくて、付いてきたんですよ」

「・・・やれやれ・・・」





やがて森の奥へと続く小径が急に開けた。

子供の腰くらいの高さの岩が幾つも幾つも転がっている。
まだ日暮れまでに時があるというのにそこは周りの景色よりも一段と 薄暗く、陰鬱としていた。

「・・・何、ここ。雑草のひとつも生えてやしない・・・」

「成る程、ここがそうか・・・」

帽子の鍔を押し上げて魔実也は呟いた。
彼の黒い瞳の奥に揺らめく影が濃くなった。
その視線に気付いて女は思わず足が竦む。
彼がこういう表情の時は“本物”がいるのだ――――――



「ちょっ・・・・・・」

暫しの沈黙に耐えられず、彼女は魔実也に話しかけようとした。
と、その時。
彼女の鼓膜を何かかが震わせた。

「なに?」

視線を辺りに奔らせてみても自分と魔実也の姿しか見えない。

なのに聞こえてくるのは幾人もの子供の声。
よく耳にする、童歌(わらべうた)。



かごめ、かごめ
籠の中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀とすべった・・・



「ねえ、これってなんなのさ?」

女は青年の腕を掴んで強く揺すった。

「・・・唄ってるのさ」

「それはわかってますよ!
 この声、あ、あの岩から聞こえてるみたいじゃないですか!?」

魔実也は自分を掴んでいる女の腕をぐいと引き寄せ耳元で囁く。

「あすこの村は土地が貧しい。
 だから昔から幼子を育てることができなくて よくここで間引いてたんだ」

「間引く・・・って殺・・・」

その時彼女の口を魔実也の白い掌が覆った。
女は一瞬驚いたが抗うことはしない。

「村人の中に何人も歌が聞こえると言って怯える者が出てきている。
 知人を通じて僕に依頼が回ってきたんだが・・・。
 よく聞いてみろ。
 最後のところを唄ってないだろう?」

女はゆっくりと魔実也の手を外して彼の端正な顔を見上げる。

「最後・・・って “うしろの正面・・・” ってやつ?」

「そう、その部分を聞いた者は死ぬそうだ」

近くで聞く、彼の声は甘美でついふらりとしてしまいそうなのだが 内容が内容だけに酔うことも出来ず女は大きく目を見開いた。

「じょう・・・っだん・・・」

それでも声は出来うる限り抑え、その場にへたへたとなりそうになる脚に 力を込めて、辛うじて我が身を支えている。
相変わらず強気だな、と魔実也は薄く笑った。
それが彼女をややむっとさせて皮肉なことにふらついていた腰がしゃんとする。

「・・・で、どうするんですか?
 供養でもするわけ?」

「さて・・・依頼人は村を守れ、ではなくて自分を守れと言っていたしな」

「サイテー・・・」

小声で会話してる間にも童歌は続く。
そして次第にその声達が移動してゆくのが解った。

「・・・村へ向かうつもりか?」

魔実也は抱いていた彼女の肩から腕を外して、黒い帽子を被り直した。
そうして笑っているのか、見つめているのかわからない独特な視線で 彼女を見下ろすと抑揚のない声で囁く。

「―――もしも
 “うしろの正面だあれ”と唄ってきたら―――・・・」





もうすぐ陽が落ちようとしていた。
その老人は忌々しげに窓から見える森に向かって唾を吐く。

「変な噂の所為でこの村を通るはずの道路も計画倒れになっちまった。
 村長になった意味もこれでおじゃんだ。
 ・・・あとはあの妙な探偵にどうにかしてもらわないと・・・」

心霊とか祟りとか一笑に付してしまうような男だがどうやら度重なる怪異に内心は 酷く怯えているらしい。
細くて骨張った躰だが背は高く、その濁った眼はいつもぎょろぎょろ忙しなく動く。

普段うるさいほどつきまとってくる腰巾着の男達は ここのところ顔すらも見せなくなっていた。
部屋の中が暗くなり始め老人は気休めとは思いつつ戸締まりをしようと 縁側に出る。

耳障りなほどの虫の声。
腹を下したようなヒキガエルの声。
全てが鬱陶しく、煩わしい。

軋む雨戸を引っ張りながらこの暑いに、と言葉を吐き捨てたとき。



かあごめ  かごめ


躰が凍り付いた。
まさか。本当だったのか。


かあごの なあかの


それは、すぐ近くに聞こえてくる。


とぉりぃは


四方八方から。取り囲むように、響いてくる。


いいつう いいつう


近づいている。もうこの部屋の中にいる。
もう、子供達の声しかその耳には入ってこない。
強いて言えば滴り落ちる己の汗が床にぶつかっていく音だけ。


でやある・・・ぅ・・・


何とか懸命に魔実也の後を走ってきた女は 村長の家、つまり魔実也の依頼人である老人の家が 赤みを帯びた光に包まれている様子に目を瞬かせた。


よおあけえの ばあんに


やや斜め向かいに立っている魔実也の姿を見つけると 女は小走りに駆け寄ってその白い左手首を握る。

「あれ、なんです?」

「かごめ・・・、籠目、屈め・・・囲め・・・・・・」

まるで独り言のように呟いてから彼は彼女の方に振り向き、 やっと質問に答えた。

「耳を澄ませてみろ。聞こえないか?」


つうると かあめと すうべった・・・ぁ


「あ!!」

思わず両耳を塞いで、その均整の取れた躰を魔実也の方に擦り寄せた。
顔が強ばっているのか、彼女の泣黒子が微かに震えているようだ。


うしろのしょお・・・めん


老人は頭を抱え込むように蹲りがちがちと絶え間なく歯を鳴らしていた。
どうすればいいのか解らず、ただその細い躰を小さくしている。

唄うな。
その先を。
解るわけがない。
考えたくもない。
どこかへ消えてくれ。
早く。はやく。


堅く堅く目蓋を閉じているのに 老人にはその光景が視えていた。

己を取り囲んでいる幾つもの物体。
赤黒く、ぐにゃぐにゃとただの肉の塊としかおもえない顔、顔、顔。
―――生まれたての赤ん坊の、顔。







「・・・酷い目に遭いましたよ」

いささかげんなりして、女は大きくため息をつく。

「だから付いてこなくていいといったろう」

女は唇の端を吊り上げ、無理矢理笑おうとした。

「・・別に後悔なんざしてませんよ」

それから意地の悪い彼に対抗しようと懸命に言葉を捜した。
彼女とて海千山千なのだ。

「センセこそ、間に合わなかったふりして わざとあの陰険村長を放っておいたんでしょ。
 教えてやれば良かったじゃありませんか。
 ―――振り向いてやれ、って。
 存在を認めてそれからちゃんと供養してやればおとなしくなるって、さ」

喋るうちにいつもの調子が出てきたのか彼女は饒舌になっていた。
魔実也は懐から煙草を取り出し火を点ける。
薄笑いのその表情(かお)は 彼女に辟易しているのか楽しんでいるのか見当が付かない。

「あの童歌は地方によって歌詞も変わってくるんだ。
 歌の解釈もそれぞれ違う。
 ・・・僕には籠の鳥は村長の欲望に思えたな」

「それにしても小一時間も見物に徹するなんて・・・ヒドイねえ」

くいっと彼の襟元を正しながら呆れたように女は溜息をついた。
魔実也はそれを見てククッと喉を鳴らす。

「姉御はヤサシイな。
 やつれた村長に向かってちゃんと墓を建ててやれって説教してたからな」

上目遣いで睨んでくる彼女の視線を無視して魔実也は珍しく声を出して笑った。


な・・・なんだかコメディチック(^^;
最初はもっとドロドロ展開の筈が・・・あうあう。
姉御パワーに負けました。わたしの姉御って色気なくて別人28号(古っ!!)
和泉さん、ごめんねー、なんか絡みが少ないですね〜(T.T)
しかも魔実也氏、なんもしてないじゃないか!仕事!!(チュドーン (/_;)/)
あ、そういえば姉御が出てて、子供が歌をうたう話があったなぁ。
今思い出した・・・(^^;
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