「ったくうまくいかねえな」
飯塚が煙管(キセル)をぽん、と指で叩いた。
「苛ついてますね」
赤毛の青年が、遠くの山を眺めながら、呟く。
「桂さんは行方が掴めねえし、長州はがたがただし。
 俺はいつまでも薬の置屋だ」
「・・・大丈夫ですよ」
「悠長なこった、女房の影響か?」
「巴さん?」

剣心が、漸く飯塚の方へ振り向いた。
訳が解らない、といった表情(かお)をしている。
ぷかり
真新しく詰められた煙草の葉が、きつく香った。
「・・・変わったっていってるんだよ。
 にしても、まだ『さん』づけなのか」
「癖みたいなもんですよ、おかしいですか?」

ぷかり ぷかり ぷかり とさっ

「初心(うぶ)だねえ――――――」



ゆらゆらと、紅い夕陽を背に、赤毛の男が歩いてくる。
「あ」
巴は窓格子から見かけると、待ちかねたように戸を引いた。
今日は確か飯塚に会うと言っていた。
もしまたあの京での殺伐とした日常に帰らねばならないとしたら。
その報せは必ず飯塚が持ってくるだろう。
ゆったりとした剣心の足取りは、その報せがまだ来なかったと言うことだ。
良かった。
そう巴は思う。
そうして、逸る気持ちで彼を迎える。

「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
「どうでしたか?」
「・・・変わり無しだよ」

苦笑して首を軽く振る剣心の、その仕草は。
巴と同じく彼もこの暮らしを大切にしているからだろう。

「巴さん」
「はい?」
「巴さん、って呼ぶのはおかしいか?」
「は・・・い?」
「・・・女房に『さん』付けか、と言われたから」
「―――飯塚さんに?」
「ああ」

暫しふたりは家屋の入り口で佇んだ。
ちちち、とねぐらへ帰る無数のすずめたち。

「・・・慣れてますから、気になりませんでした・・・・・・」
「そう、だよな」

剣心は困ったように首を竦めて。
さり気なく巴の手を握って一緒に敷居を跨いだ。
不思議だ。
巴はぼんやりと思い返す。
ゆらゆらと、紅く照り返される繋がれたふたつの手。
わらべうたを唄う、子供達の姿と重なる。

―――ひらいた ひらいた
―――なんの花が ひらいた

くるくる回りながら、近づき離れながら。
唄う。
あのひとと。
指を繋ぎ合いながらそれを眺めたことがあった。
そうだ。
あの時、初めて「巴」と、呼ばれた。

―――蓮華の花が ひらいた

祝言を、挙げよう。
予感はあったけれど。
信じてはいなかった。
だからびっくりして、戸惑った。

―――ひらいたと おもったら
―――いつのまにか つぼんだ

「巴さん?」
ぐっと四本の指ごと、強く握られた。
ゆらゆら紅い光が、ぱっと弾けて、消える。
「・・・あ」
ふたりともまだ土間に立ち尽くしたままだった。
無表情に自分を見る剣心が、普段より刺々しい気を放っている。
彼は何か言いたげに小さく唇を開いたが、直ぐさまきつく閉じて。
そのまま引いていた巴の手を離した。
乱暴に草履を脱ぎ捨てて、せかせかと部屋の隅へ歩き、座りこむ。

「あの・・・」
悪いことをした、と思った。
自分はあのひとのことを考えて、目の前の剣心を。
瞳に映していなかった。
落ち尽きなく巴も桐下駄を脱ぎ、そのまま剣心の傍に近づき膝を折る。
「あ、の・・・」
剣心は巴の方を見ずにぐしゃぐしゃと髪を掻き回した。
「あの」
巴の左手が、柔らかく剣心の肩を押した。
途端その手首を捕らえられて、目前に眉間に皺を寄せた剣心の顔がある。
そのまま顎を引き寄せられたかと思うと、噛みつかれるように口付かれた。

濡れた音がして。
乱暴に舌を吸われて。
そうして、名残惜しげに離れてゆく。
口付けの間、閉じていた目蓋を開けると。
まだ眉間に皺を寄せ、小難しそうな剣心の表情(かお)。
「・・・大人げない」
「はい?」
「俺って、駄目だな」
「・・・」
剣心は崩していた膝を、きちんと揃えて正座した。
「君が、時々ぼんやりしてるのが、嫌なんだ。
 俺の目の前で、何か俺じゃないものを視てるは嫌なんだ」
「・・・」
「でも、君がそうすることはけして悪いことでも後ろめたいことでもなくて。
 ちゃんと、頭で解ってるのに・・・俺、嫌なんだ・・・」
ふう、と息を吐いて。
むっつりとしたまま淡々と剣心は言葉を紡ぐ。

この潔癖な少年は、己の独占欲を嫌悪して巴に謝りながら。
それでもその欲を拭い去れない自分に。
―――腹を立てている。

巴は数度ゆっくりと瞬きをして。
細い両腕を、彼の首に掛けた。
「・・・巴さん・・・」
「あなた―――」
まだ小萩屋に居た頃は、彼への呼びかけは『彼方(あなた)』だった。
でも変わった。
現在(いま)は違う。
わたしは『覚悟』したのだから。

「あなた」
巴は頬を擦り寄せ、剣心の耳朶を小さく噛んだ。
「巴、と呼んでください。
 あなたはそうしてわたしを縛ってもいいんです」
「な、にを・・・」
「貴男・・・わたしも貴男を縛っていいでしょう?」
鼓膜に直接伝わってゆく、優しい声。

与え、奪い、求め、欲し。
男と女の、それは表裏一体の原罪。



巴は身体をそのまま剣心に全て預け。
剣心は彼女の腰に腕を回して、古ぼけた床に倒れ込んだ。
そのまま言葉なく長い接吻を交わし。
互いの着物を剥がし、相手の肌に唇をすべらせて。
獣のように没頭する。
うねるような快楽に身を任せながら。
巴は幾度も彼が、自分の名を呼んでいたのを。

―――憶えている。









つぼんだ
つぼんだ
なんの花が つぼんだ
蓮華の花が つぼんだ
つぼんだと 思ったら
いつのまにか

ひらいた・・・・・・


「蓮華の花」は、いわゆる「はすの花」ですね。
道端のレンゲ草ではありません。
汚い水に浮かびながら綺麗な花を咲かせるやつです。
数時間開いては閉じ、開いては閉じ、四日程度で散ります。
・・・深読みおっけー!(笑)
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