「なんでアイツをかばうんだよ!! アイツは姉ちゃんの敵だろ!!」 小さな身体から溢れ出すような怒りと哀しみを。 無防備に晒しながら弟は泣いていた。 彼はわかってはいないけれど、本能で感じていたのだ。 きっと。 大好きな姉の、末路を。 愛する幼馴染みの為に、娘であることも姉であることもかなぐり捨てて、そして。 憎悪の対象を愛してしまった彼女の。 末路を。 元治元年 十二月三十日 やっと、自覚した。 わたしは「行こう」と差し出された縁の手を取れなかった。 心の底から。 全身で。 わたしは、わたしが彼と出逢った目的を否定したのだ。 彼とこのまま居たいと、悟ったのだ。 縁、縁、ごめんなさい。 わたしは、間違っていたの。 あの人は、間違っていたの。 彼も、間違っていたの。 ・・・そして誰も、間違ってはいなかったかもしれない。 いつか、理解(わか)って。 わたしのように取り返しがつかなくなる前に。 軽く伏せた、目蓋の裏側が熱かった。 弟がやってきた事で、塗り込め押し隠した『その時』が、残酷な形で現れる。 「闇乃武」。 『抜刀斎』を抹殺する為に、ほぼ一年を準備に費やしてきた恐るべき暗殺集団。 彼らの力量が尋常でないことは、ただの小娘である巴にもすぐに解る程だった。 『抜刀斎』は確かに強いけれど。 たった独りで多勢を相手にすることになるだろうし、 おそらく「闇乃武」は地の利も考慮して仕掛けてくるだろう。 どう考えても、剣心にとって不利だ。 万が一生き延びても、五体満足で居られることはないだろう。 「・・・・・・」 ねっとりとてのひらが脂汗で粘ついた。 どくどくと不規則に響く、鼓動。 失ってしまう。 喪ってしまう。 遺されて、しまう。 何とかしなければという焦りが、巴の容量(なかみ)をどんどん満たしてゆく。 所在なく彷徨った指が、一旦閉じた日記帳を思い返したようにまたはらりと捲り返した。 許婚を殺した男への恨みを忘れない為に。 許婚を間接的に死へ追いやった自分の罪を忘れない為に。 ・・・綴り始めた、古ぼけた和紙の束を。 「ふ・・・」 走り読みをして、彼女は小さく自嘲した。 まるでこれは恋文のようだ。 愚かな少女の、恋文だ。 取り繕った文の端々に、本音が吐露されている。 見なさい、巴。 これがお前。 哀れな女を演じた、浅はかな女。 天は全てを知り全てを配し賜う。 お前と、清里と、抜刀斎を。 「もういい。 もう・・・いいんだ・・・」 巴の告白を聞いて、剣心はそう言った。 彼は、いつの間にか『男』の顔をしていた。 彼女の肩を包んで、彼の背中に縋って、やがてふたりで四肢を絡め合う。 「あ・・・ああ・・・」 あがる声を、我慢しなかった。 「・・・くっ」 つい入りすぎる力を、加減しなかった。 こんな風に、抱き合ったのは初めてだった。 隠してきた部分を見せ合って、小さな堰が壊れたのかもしれない。 「・・・っと・・・」 「え?」 「もっと・・・ください、わたしに、あなた、を」 唇をぴたりと重ねて、舌も唾液も掻き混ぜる。 うなじに、鎖骨に、胸元に。 剣心が幾度も幾度も吸い付いてゆく。 「足りない、足りない、だから・・・もっと」 貪欲に求めて、求められた。 それでも、満たされなくて、また啼いた。 「もっと」と。 足りない。 刻(とき)が足りない。 償いが足りない。 ――――――貴男が、足りない。 元治元年 十二月三十一日 あなたを好きになってはいけないと、思っていました。 だから、真実(ほんとう)の自分の心に気付きませんでした。 わたしは。 ちゃんと見据えるべきだった。 自分という人間をちゃんと直視するべきだった。 やっと。 やっとそれに気付いた時は、もう断罪は始まっていた。 もう、遅かったのです。 もっと、あなたと話したかった。 もっと、あなたと笑い合いたかった。 あなたに近づいて あなたへ腕を伸ばして あなたを 抱き締めて わたしは わたしは――――――――― ぐしゃりと筆先が潰れた。 そのまま動かない一点から、じわじわっと黒が拡がり。 嗅ぎ慣れた墨の匂いが濃くなった。 「・・・・・・」 乱れて縺れた黒髪が漸く揺れた。 噛み締めた唇から、小さく白い息を零し。 震える白い指先を、その薄墨色の滲みの上に重ねる。 びり、びり まるで滲みを掴むかのようにくしゃりと握り締めて、破った。 転がった筆を取り直し、毛羽だった筆先で。 巴は独り言のように一文を書き付けた。 あなたに、本当は読んでもらいたかったんです。 いつもいつも無造作に。 まるであなたを試すように、あなたを挑発するように。 文机(ふづくえ)にこの日記帳を置いてあったのは。 ―――きっとあなたに、知って欲しかったから。 己から、懺悔するべき事実を。 日記を閉じて、身支度の為に手鏡を覗き。 昨夜、剣心にきつく吸われた首筋の痕を巴は見つけた。 もっと もっと 幾度もそう口走った気がする。 長い時を置けば。 きっと狂った。 今も。 狂う。 けれど狂っても、消えない、真実。 「さよなら・・・ わたしが愛した二人目のあなた・・・」
これで良いんです だから だから――――――・・・
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