赤い鳥居をくぐって、見上げるような山車(だし)が賑やかな掛け声とともに動き出す。 逞しい素足が、幾つも幾つも通り過ぎて。 艶やかに彩られた屋台から、太鼓や笛の音が響き。 首を長くして待ちかねた人々が大きくどよめくと、山車を追いかけるように雪崩れた。 「すごい・・・」 人達の熱気に当てられて、巴は目を丸くして溜息をついた。 「君の地元は近いだろ? ちゃんと見たことないのか?」 「ええ・・・、わたしこういうのが苦手で。 どちらかといえば書物を読む方が好きでしたし、 祭りだからといって余計な物を買い込むのも、無駄遣いのような気がして」 「・・・しっかりしてたんだな」 剣心は、ぽりぽりと首筋の後を掻きながら自分の幼い頃を思い出していた。 「俺はさ、よく師匠を困らせてたよ。 アレが見たい、コレが欲しい、ドコソコに行きたいって」 「意外ですね」 「人里に下りることが滅多になかったから、 きっと舞い上がってたんだろうなあ。 今から考えると何もかも師匠におんぶに抱っこで 面倒見てもらってたくせに、図々しかったな」 ころころと喉を鳴らして、巴が笑う。 「幼子は、それでいいんですよ。 わたしみたいに、変に聞き分けのいい子はよく心配されました」 剣心は目を瞬かせながら、巴の顔を凝視した。 不審に思って巴は小首を傾げて訊ねてみる。 「・・・どうかしました?」 「聞き分けのいい子は心配か・・・なんだか実感がこみ上げて」 「・・・・・・」 今度は巴が目をパチパチさせて、微かに頬を染めながら俯いた。 ああ、こんな照れたような、怒ったような、それでいて恥じらったような 表情(かお)が可愛いな、と剣心は思う。 本人には絶対内緒だけれど。 わあ、と歓声が上がりふたりがその方へ目を遣ると、山車が勢いよく回転して、 艶やかな法被を纏った偉丈夫達の熱気がむん、と彼らの元まで届く。 ぱたぱたと子供達が駆けだして、山車の後を追う。 その時、顔見知りの幼女が剣心の姿を認めて立ち止まった。 「あー、お兄ちゃん! よかった、これ持っててくれる? あたしいっぱい走らないといけないから!!」 そう言って、剣心の返事も待たずに両手に持っていた物を彼に押し付け、 兄の後を追いかけていった。 やれやれ、とひとつ溜め息をついて。 剣心が巴を見れば、彼女はおもしろそうに彼の手に握られている物を眺めている。 釣られて剣心も、ようやくそれに視線を落とした。 「へえ。 かざぐるまとあめ細工か」 剣心はあめ細工を掲げるようにしてそれを観察した。 すいっと伸びた白い生地に鮮やかな黒と紅が奔り、鋏で刻まれた細かな翼がぐっと伸び上がっている。 まるでおもちゃのようなそれは、食べてしまうには勿体ないくらい上出来だ。 「懐かしいですね。 縁がよく龍とか馬のあめ細工を買っていたのを思い出します」 「・・・うん。 俺も欲しくて、駄々をこねた」 光が差すと、琥珀色に変わる瞳を僅かに細めて。 剣心は我知らず口元を綻ばせていた。 「こういうのをやってみたかった。 手に取ったり、眺めたり、それだけで胸の何処かがあったかくなるような。 そんなものを、やってみたかった―――」 祭りのざわめきが、どんどん遠ざかって。 さわさわと、ほんのり何処か冷ややかな風が。 からから、からから。 もう片方の手に握られた、赤い和紙と竹で作られた小さなかざぐるまを回す。 それは何故だか近づいてくる秋を予感させた。 「・・・あなたは、器用ですから。 今からでも習えばきっと出来ますよ」 小さな鶴を支える棒を握り締める剣心の、指に。 巴は触れるか触れないかの、優しさで。 自分の指をそっと重ねる。 面映ゆげに剣心が俯いて「巴は俺を気分良くさせるのが上手いよな」と 小さく呟いた。 そしてゆっくり息を吐き出し。 まるでそれに合わせるように、かざぐるまも。 からからからから・・・・・・ 「じゃあ、さ」 「はい」 「刀が振るえなくなったら・・・そうしようかな」 「そう、ですね―――」 かざぐるまは、剣心からいつの間にか巴の手に握られていた。 童女のように、腕高くかざぐるまを翳して。 乱れる髪を撫でつけることもせず、彼女は風を楽しむように。 かざぐるまを回す。 袂から露わになった彼女の白い肘とか、白い歯の覗く唇とか。 うなじで小さく揺れる後れ毛とか。 ―――どうしようもなくその愛しい存在は。 不安と切なさと温かさと穏やかさと。 そんなあらゆる正と負の感情をごちゃ混ぜにして剣心を戸惑わせる。 けれど、紛れもなく彼女が居てくれるから―――彼は未来(さき)へ進むことが出来るのだ。 からから、からから かざぐるまの音を聞きながら、陽光に眩しく光る甘い鶴を見つめた。 先程から逡巡していた事を、漸く決し、剣心は口を開く。 「明日から、また行かなくちゃならない」 巴も、いつ彼が切り出すかと感じていたのだろう。 ただ静かに真っ黒な瞳を揺らめかせて、微笑った。 「お仕事、ですね」 「・・・ゆっくり出来なくて、ごめん」 「いいえ―――」 「君をひとりにするのは、不安だけど」 「ひとりなんて。 村の方達は、お節介なほど優しいし、縁はあなたが居ない時は しょっちゅう顔を出してくれますし」 「・・・じゃ、大丈夫か?」 「いいえ」 「・・・え・・・?」 大丈夫か、と訊いたのは、ほんの気紛れだった。 まさか素直に「いいえ」と返ってくるとは思わなかった。 瞠目して、しげしげと巴を見つめる剣心に、くくっと彼女は喉を震わせた。 「そんなにびっくりなさらなくても」 「え、いや、だって・・・」 「本音を隠して後悔するのは、もう嫌ですから」 かざぐるまを持たない方の手が、剣心の手へと伸ばされた。 「淋しいです、とても」 巴のひんやりとした指が、ささくれの多い剣心の指を滑り、絡む。 さらりとした、膚(はだ)の感触が気持ち良かった。 剣心は指先を広げたかと思うと、あっという間に彼女の指をその手の平に包み込んだ。 「・・・あめ細工、買おうか?」 「どうしたんですか?急に」 「そんな気分、なんだ。 とても綺麗で、甘いのが・・・欲しい」 自分に向けられた彼の瞳の色を見て。 ぼっ、と音がしたかと思うくらいに、巴が顔を真っ赤にした。 不思議そうに首を傾げて剣心は「どうかしたか?」と訊いてみたが、 巴は真っ赤なまま、「何でもないんです」と首を振り。 体温が上昇した彼女の身体から、甘い体臭を嗅いだような気がして。 剣心はやっとたぎる自分の欲に気付く。 「あ、あれ? 俺、無意識に・・・・・・」 握った手を離し、口元を覆って、剣心は顔を背けた。 彼が慌てだした所で、巴はやや冷静さを取り戻し。 離れてしまった彼の手首を握り、再び引き寄せる。 「・・・うさぎ」 「え?」 「白くて美味しそうでしょう?うさぎのあめ細工」 「あ、じゃあ俺は・・・」 彼女の耳元に口を寄せる。 「君から、もらうよ」 おおおお、と遠くでざわめき。 山車を中心に、迸る生命力が。 境内を覆った。
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