綺麗な、指をしていた。 豊かな黒髪を無造作に後ろでひとつに束ねて。 身につけている着物はどう見ても高級そうだ。 ある日突然、破落戸長屋の左之助の元へ訪ねてきた女は この界隈では滅多にお目にかかれない美女だった―――――― 「・・・斬左さん・・・?」 たっぷり左之助を眺めたあと、女は細いが芯のある声で訊いてきた。 「え、ああ」 少し焦りながら左之助は返答する。 だがやがて思い直したように付け加えた。 「・・・っと、そいつぁ昔の話だ。 喧嘩屋はやめた。今はただの左之助だ」 彼女のようにいきなり訪ねてくる人間は大概彼に『喧嘩』の依頼を持ってくる。 少し雰囲気が場違いだが、彼女もそういう類だろうと推測したのだ。 女は戸惑い気味な顔をした。 しばらくじっと考え込んでいたがやがて顔を上げると 「斬左でも、左之助でもわたしはかまいません。・・・人を捜しているんです。 あなたなら知っていると訊いてきたのですが・・・」 「なんでえ、こちとらてっきり喧嘩だと思ってたもんだからよ、つい・・・」 ぽりぽりと頭を掻きながら、とりあえず左之助は女を土間へ招き入れた。 二,三歩歩んで女はふと足を止める。 「・・・汚い・・・」 ぽつりとそう呟いて左之助が何か言おうとするのもお構いなしにまたすたすたと入ってゆく。 「なんでぇ、ったく」 喉まで出かかった言葉を呑み込んで、彼もさっさと沓を脱ぎ捨てた。 野郎なら出さないが取りあえず薄い座布団を置いてそれから茶などを煎れてみる。 女は視線を泳がすことなく堅苦しく正座をして、おとなしく待っていた。 (世間慣れしているようにも思えねえが、肝は座ってるらしいな・・・) 「で、用件を聞こうか?」 「実は妹を捜しています」 瞬きせずに女は左之助を見た。 「家を出てからもう一年にもなります。 さすがに心配になっていろいろ聞き回った結果、あなたが何か知っているらしいと・・・」 それきり女は何も言わない。 「・・・・・・」 あまりの簡潔明瞭さに左之助は固まってしまった。 いちいち個人的事情に立ち入るのは好きではない。だがこういった場合、もう少し事情 説明があってもいいではないか――― 「え〜、そだな・・・妹さんの名前は?」 「るりは、と申します」 「・・・思いあたらねえな」 「そうですか・・・失礼いたしました」 女はすくと立ち上がり、出ていこうとした。 「ちょっと待てい!」 思わず大きな声で呼び止める。 「なんだか訳が分からなさすぎるっ。 ちっと説明してくれねえか?俺を頼ってきたのも何かの縁だし、力になれるかもしれねえ」 振り返って女は漆黒の大きな瞳で思案する。 やがて 「そうですね・・・おっしゃるとおりです」 そういってまた居住まいを正した。 「実は・・・わたしの家は厳格な家柄で、妹は常々それに反感を持っていたようでした」 残り少ない湯飲みの中身を見つめながら、か細い声が響く。 「そのせいか、あの子が好きになる男の方といったら、やくざ紛いや家も持たない浮浪者の ような人ばかり・・・。 今回の家出も誰かを好きになって追いかけていったらしいのです」 「・・・・・・(何もいえねえ)」 「そんな子でもわたしにはかわいい妹ですから、その筋の方たちに片っ端から訊ね回って行方を探していたのです。 そうしたらあなたの名前が挙がったもので・・・」 黙って聞いていた左之助は、そこで女の言葉を遮った。 「もしや、この俺が妹の惚れた相手だと・・・?」 こくり、と素直に女は頷いた。 そして鮮やかに初めて微笑む。 「でもすぐにわかりました。 あなたは妹が惚れるよりもっといい男だって」 どちらかと言えば楚々とした感じの彼女だったが笑むと大輪の華が咲いたようだった。 さすがの左之助も一瞬みとれてしまう。 「・・・まあ、なんとなく事情は呑み込めた。 あんたがここに来たのも何かの縁だ、少しは力を貸すぜ」 咳払いをしてすぐに我に返ると左之助はそう切り出した。 ざっと立ち上がって左の手のひらに右拳をぶつける。 「一週間後にまた来てくれ。 修たちにちいっと調べさせるからよ」 それから思い出したように、 「そういや、あんたの名は?」 女は柔らかな表情で答える。 「・・・くれは」 だが思ったより早くふたりの再会は訪れた。 いつものように神谷道場ただ飯を戴いたあと、長屋へ戻る途中に左之助は 三人の柄の悪い連中に囲まれているくれはを見掛けた。 どうやらまたせっせと妹の行方を捜し回っていたのだろう。 筋肉質の男がいきなりぶん、と腕を挙げた。 (やべえ) そう思って駆けつけようとした瞬間。 くれはの長い黒髪が舞った。 男は標的を見失って足元をぐらつかせる。 直ぐさま女に避けられたのだと悟った仲間がくれはを掴まえようとした。 さら・・・・・・ 再び黒髪がなびいた。 二人の男たちは無様に互いを掴み合った。 着物の裾を乱すことなく、くれはが振り返る。 男達がもたもたと体制を整えた時。 「おい」 一番身体の大きな男の後ろ襟を摘んで左之助が声を掛けた。 ―――ほんの一,二瞬で片を付けると男達は這々の体で走り去った。 左之助はじっと己の背中を見ているくれはに気付き、彼女の前に立つ。 「危ないところを助けていただいてありがとうございました」 女は深々と頭を下げた。 「・・・危ないようには見えなかったけどな」 並の動きではなかった。それなりの鍛錬を積んでいるに違いない。 それにしてもこんな堅苦しい着物でよくもまあこれだけ動けるもんだ・・・ 妙な感心をしながら、左之助は肩の土埃を払う。 「その悪の字・・・」 くれはが小首を傾げて笑う。 「まさにぴったりですのね」 「・・・・・・」 長い睫毛が揺れる。 白い肌に色鮮やかな唇の紅が艶やかさとしたたかさを感じさせる。 何も言わなくなった左之助にもう一度礼をするとくれはは立ち去っていった。 「なんだか謎の美女、でござるな」 またまた神谷道場でちゃっかり夕餉をご馳走してもらった左之助は 庭先で綻びだした梅の花を眺めている剣心にこれまでの話をした。 「どう思う? 妹を捜してるってのはほんとかな」 「話を聞く限りは嘘はないと思うでござるが。 まあ、話してない事柄がたくさんあるのでござろう」 剣心はいつもの調子でにこにこしながら答える。 考え込んでしまった左之助を見て、剣心は益々笑顔になった。 「いつもと勝手が違うようでおもしろいでござるな」 ちょうど一週間後にくれはは再び破落戸長屋を訪れた。 「よお・・・」 「何か手掛かりは得られたのでしょうか?」 「あるといえば、な・・・」 実は修がその情報を持ってきたのは今朝のことだった。 そしてその話を聞いて以来、左之助はどう切り出そうかと珍しくずっと 頭を使っていた。 だがくれはの顔を見て、その気が失せた。 ありのままを。 そう決断する。 ふたりは土間に立ったまま暫く互いを見つめていた。 そして。 「行方は結局わからなかった」 一気に吐き出す。 「だがこれだけはわかった。 あんたの妹さんは男と一緒にいる。 其奴とあちこち転々としてるらしい―――死んだっていう噂もあるようだ」 くれはの瞳が揺れた。 そうしてやがて深いため息を漏らす。 「そう、ですか。 行方はわからなかったのですね。 ・・・でもあの子は生きていても死んでいてもきっと好きな男(ひと)と一緒なのね・・・」 まるで母親のような表情(かお)をする、そう左之助は思った。 くれはは両の指先を揃えて、ゆっくりと左之助に頭を下げた。 「よしねえ。俺は結局何の力にもなれなかった」 ふいっと顔を背ける。 拗ねてるみたい。 女はそう思って苦笑した。 それから白い右手で左之助の手の甲を覆った。 冷たい感触にぞくりとして左之助はくれはの顔を見た。 「・・・妹の捜索はわたしの我が儘でした。 わたしたちは家を殆ど出ることは許されていません。 家のために生き、家のために尽くす・・・。それが決められた運命」 でも、とくれはが手を離した。 「妹はその束縛から逃れた。 どこで、どんな困難に遭ったとしても後悔はしなかったはずです。 ・・・それが確かめられただけでもわたしは満足です。 わたしはあなたに感謝します・・・・・・」 哀しげで、満足げで、儚くて・・・そして剛(つよ)い。 そんな複雑で曖昧な微笑みを浮かべて女は左之助に背を向ける。 「くれは・・・」 思わず腕を掴んで、左之助は女の名を呼んだ。 「あんたは、どうするんだ?」 驚いて、それでも優しい声でくれはは答えた。 「勿論、家に戻ります。 それは――― 妹の選んだ道と同じくらい困難なものだけれど――― わたし自身が選んだことですから」 それきり、左之助は何もいえなかった。 瞬間抱き寄せて、そして離れた。 鼻腔の奥をくすぐった甘い香りが何かわからないまま――― 「恋でござるか」 「わかんねぇ・・・」 暖かな日溜まりの縁側で左之助はぼんやりしている。 まるで走馬燈のような出来事。 「そういやあ」 ぐるりと首を回して隣の剣心をやる気がなさそうに見る。 「おめえはよ、俺より随分長く生きてるんだからしたことあるよな」 「随分失礼な物言いでござるな。で、なにを?」 のんびりと剣心は茶を啜っている。 「恋だよ、恋」 「・・・・・・」 その時の剣心の表情は、女が最後に見せた複雑で曖昧な微笑みによく似ていた。
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