晒しを細く裂いて、手慣れたように剣心はそれを彼女の白い指先に巻き付けてゆく。
きつくもなく、弛みもないその手際よさに、巴は暫し唖然としていた。

「はい、これで終わり」
「上手ですね・・・」
「傷の手当ては、回数踏んでるから」

事も無げに言う剣心に、巴は僅かに眉を顰めて、白い布を巻かれた己の指を見る。
小さいけれど思ったより深かった切り傷に、当てられた薬草。
飯塚が指導したものの、基本的な知識は持ち合わせていたようだった。

「さて、後は俺がやるから。
 巴さんは・・・座ってて」
そう言い捨てて、気軽に土間に立ち、剣心は料理の続きを始める。
「大したことありませんから・・・わたしやります」
中腰になって立ち上がろうとすると、剣心はやんわりと制止した。
「駄目だ。
 せめて傷口が塞がるまでは大人しくしててくれ」
包丁を持って、野菜を刻む音は軽やかで。
再び呆気に取られて、巴はそれを見つめた。
「上手ですね・・・」
今し方発した科白と同じ物が、唇から零れたが、剣心は気に留める風もなく手を動かす。
「慣れてるんだ・・・俺」
「え?」
「飯の支度」
「そう、なんですか?」
「師匠が・・・、俺を拾って育ててくれた人なんだけどさ、変わった人で。
 気が付いたら家事一般全部やらされてた」
唇を尖らせて文句は言っているが、表情が楽しげに揺れる。
「そう、ですか」
「薬も殆ど自家製で。
 変なモノ飲んでやばかった時があったよなあ」
喋りながら素早く釜の火を調節する。
下拵えを巴が済ませていたとはいえ、目を瞠るほど鮮やかだ。

思った以上に、器用な人なのだ・・・・・・

巴は改めて、剣心を見遣った。
学問には疎くても、頭の回転は早く、機転も利く。
話の流れからすると、洗濯や掃除もお手の物だろう。
味覚も短い期間ながら、共に生活を送ったおかげで彼が確かな事も解る。
おそらく、大概のことは教えられればそつなくこなすのだろう。
(何故)
それが何故、彼に最も叩き込まれたものが『剣』だったのか。

「あなたは」
「ん?」
「板前とか、似合いそうですね」
「え・・・?」
いきなり突拍子もないことを言われて、剣心は面食らったように 瞳を瞬かせた。
くすりと微かな笑いを漏らして、巴はわざと視線を逸らせる。
「その方が似合いかな、と思ったんです」
「そ、そうか?」
右手の包丁を凝視して、暫し剣心は考え込んだ。
そして言い辛そうに口を開く。
「あー、でも・・・」
「でも?」
「板前だとかしてたら、巴さんには出逢わなかっただろうし・・・・・・」

きん、と心の弦が切れたような、そんな衝撃が巴の左胸に奔った。
強張った表情(かお)で、ぎこちなく剣心の方を見る。
剣心は、その物言いからは図りがたいほどきつい視線で彼女を凝視していた。
鍋の蒸気が、燻ってふたりの間に膜を張る。



「あ・・・」
何を言えばいいのだろう。
確かに彼が、維新志士でなければ。
抜刀斎でなければ。
―――ふたりの運命は交わることは無かったのかも知れない。

そして同時に。
これほどに捻れ、歪んだ出逢いは。
苦しみ、憎み、それでいて失うことを怯える関係は。

・・・無かったのだ・・・・・・



「うまく、いかないもんだな」
やがて口角に嘲るような笑みを残して。
剣心は何事も無かったように、包丁を動かし始めた。

意味は、あるのだろうか。
現在(いま)のわたしたちの、在りようは。
何らかの、意味を為すものなのだろうか。
それとも。
それとも。

俯いてしまった巴の視界の端に、つ、と剣心の長い指先が掠めた。
まるでそれを追いかけるように顔を上げて、意外なほどに近くにあった彼の 赤い髪に驚く。

剣心の、比較的大きな眼がすぐ其処で。
彼女を捉えている。
男性にしては、白い手の平が。
彼女の頬に触れて。
力が込められたと思うと同時に、唇を塞がれていた。
「・・・ん・・・っ」
差し込まれた舌に、応えるように舌を絡めた。
息をする間も惜しいくらいに、幾度も幾度も、舌根ごと強く吸われる。
苦しくて縋るように、剣心の袂を引っ張った。
漸く離された唇は、互いの唾液で濡れていて、掠めるように舌先で 剣心が舐め取ってゆく。
「・・・・・・あ」
肩で息をしながら、巴は今更のように顔を赤くした。
剣心の、鼻先がまだ自分の頬に当たっている。
「・・・時々どうでも良くなるんだ」
はぁはぁと互いの息づかいがやけに鮮明で。
「君が居て。
 傍に、居ることが出来て。
 それがすごく心地よくて。
 ・・・都合の悪いものは全部押し退けて」

この男性(ひと)は、こんな声をしていただろうか。
切なげに、苦しげに、そしてとても欲望的だ―――

「君が、忘れさせる。
 君が・・・思い起こさせる。
 俺の、『闇』を」

あの宿で、視えない血を洗い流そうとしていた剣心の姿が、 唐突に巴の脳裏に甦った。
『何か』から、彼を引き止めたくて。
彼女はざっと、ぶつかるように彼にしがみつく。
「わたしが・・・っ」
非力な両腕に、ありったけの力を込めて。
「わたし、が・・・!!」



どう言えばいいのだろう。
どんな言葉で伝えれば良いのだろう。
わたしも、あなたも、都合の悪いモノに目を伏せて。
何処かへ押し遣って。

そうして、あなたとわたしで過ごす『ぬるま湯』を求めることに、
罰はないのだと。
咎はないのだと。
そんな勝手な思い込みは、赦されるのだと。
誰か、誰か、叫んで欲しい。
肯定して欲しい。

その『誰か』が居ないのなら。
せめてお互いで。
・・・それしか術が無いのなら。



巴は今度は自分から、唇を重ねた。
ふたりは互いをしっかり抱いたまま、軋む床を転がった。
「わたしが、居ますから」
剣心に被さったまま、漸く紅い唇を離して、巴は振り絞るように声を放つ。
途端再び視界がぐるりと回って、天井と剣心の顔が重なった。
「・・・何処に?」
「此処に」

巴は自分の両肩を掴む剣心の腕を、更に引き寄せる。
剣心はその力に抗わなかった。
彼女の額に。
目蓋に、頬に。
啄むように、掠めるように、何度も唇を落とす。











『此処』は楽園。
陽炎の、楽園。
瞬きの間の、楽園。

――――――――――――仮初めの。







「あ」
いきなり思いついたように、剣心が声を上げた。
「・・・あ」
巴もその原因にすぐ思い当たって、同じような声を出す。
「鍋、焦がしたよな・・・」
「そうですね」

可笑しそうに顔をくしゃりとした剣心に、巴も 瞳(め)を細めて。
この瞬間(とき)を、抱き締めるように。
ふたりは重なり合った。


うーん、これでラブラブといっていいものなのでしょうか?(^^;
ちゅーがラブいんじゃあないかなあ、と自己弁護・・・(こら)
藍さん、力不足でごめんなさいデスm(__)m

ところで鍋、使えなくなるよ・・・釜の火が消えちゃうよ・・・(笑)
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