それはいつからだったのか。 初めて会ったときから? それとも少しずつ、 ゆっくりと? 「比翼の鳥?」 少し高めの声が幾分のんびりとした間合いで響く。 私はふたつ湯気の立った汁碗を並べて頷いた。 「そう。近所のおばさん達がね。 とうとうあんたらも比翼の鳥になるんだねって」 「まぁ、め・・・夫婦になるものにはよく使う形容でござるな」 なんだか顔を赤くして剣心が言う。 つい、笑ってしまう。 「でもそれって、雌雄の鳥がそれぞれひとつの目、ひとつの翼しか 持ってないから一緒に飛ぶってやつでしょう?」 「・・・拙者も詳しくは・・・。 だけど大方そんな由来だったような・・・」 「そうまでして飛ばないといけないなんてちょっと悲惨じゃない?」 ぺんぺんと杓子でご飯を装ってとん、と置いた。 出来立ての味噌汁に口づけて剣心は事も無げにこう言った。 「その鳥たちにとってはそれが自然のことなのでござろうよ」 「ふうん。イマイチわからないなぁ」 妙な間をおいて剣心は私の目を見た。そして 「今回は辛くはないけれど・・・だしをとり忘れているようでござるな」 と、これまた事も無げに言う。 私は里芋の煮物をつつきながら顔が青ざめていくのがわかった。 冷や汗が背中を流れる。 「・・・やっぱりせめて一品は剣心に作ってもらうことにするわ・・・」 食事の後、彼はぼんやりと縁側を眺めていた。 少し眉をひそめたので声をかけてみる。 「肩、大丈夫?」 折からのこの寒さ。もしかしたら傷が疼いたのかもしれない。 そう思った。 彼は相変わらずにっこりしながらゆっくりと首を振る。 「いや、大したことはないでござる」 そういってまた外を見る。 いつまで経っても他人行儀なところ、慣れてしまった。 ううん、他人行儀、ではなくてこれはあなたの優しさだってわかってる。 だけどまだあなたに恋し始めた頃は、 私はあなたに全てをさらけ出して欲しくて もどかしく感じてたっけ。 ―――あなたが何を考えているのか。 ―――あなたが何を視ているのか。 全部知りたくて焦ってそして怒りだしたこともあった。 思い返してみると恥ずかしくなって水で冷えた手のひらを 頬にあててみる。 「ねぇ、何を見てるの」 いつまでも外を眺めているあなたに聞いてみた。 返事は在っても無くても構わなかったけれど。 あなたは振り向いて私を見てやっぱり笑う。 「・・・実は何も。ぼんやりしてただけでござるよ」 「弥彦は、今晩は帰らないみたいね」 私は彼が座り直してこちらを向いたので話題を変えてみた。 「この寒いのに何をやってるんだか。ねぇ?」 大仰にため息をついてみせると彼は温くなったお茶を啜ってまた笑ってる。 「あれも友達といるのが楽しい年頃なんでござるな」 「私たち、『家族』よりも?」 「薫殿だって覚えがござろう」 「う〜ん、ある意味そうだったかなぁ」 取り留めのない会話。 冷えて澄んだ夜空。 きん、と霜が降りてくるような静けさ。 少し甘えてみたくなって彼の背中にとん、と額をくっつける。 「薫?」 時々、名前だけで呼んでくれる。 とても、気持ちいい。 「剣心。あのね」 「ん?」 「私、こんな時間がとても好きなの」 「・・・拙者もでござるよ・・・」 たくさんたくさん、ほんとうにいろんな事があって、 ようやくあなたはそんな風に言えるようになったのね。 私は多分その殆どを共にしてきたけれど あなたがどれ程の思考を繰り返してここまで辿り着いたのか 全部知ってるわけじゃない。 理解出来るわけでもない。 私は甘ったれだし、平凡だし。 だけどあなたと私は干渉して、反発して、そして寄り添って。 それを繰り返して一緒に歩こうとしている。 あなたが私を必要としてくれるなら、それだけで嬉しい。 突然ふわりと彼の唇が私の唇に降りてきた。 左の首筋に、熱い息。 そのまま倒れ込む。 火鉢の熱が畳の目に届かなくてひんやり冷たくて。 でもそんなことはどうでもよくて。 浅く深く繰り返す口付け。 きつく抱きしめられると、感情が高ぶってくる。 鎖骨を沿って下がってゆく舌先。 時々くすぐったくて身体を竦めても、彼はお構いなしだ。 「寒いでござるかな」 「ううん。大丈夫」 頭のリボンが邪魔で自分で解いた。 いつの間にかお互い着物を脱ぎ去って、重なる素肌が心地よくて。 絡み合う指。 せわしげな吐息。 声が掠れて、我ながら可愛くないなぁと思いながら。 他人の熱を取り込む、原始的な行為。 とても、熱くて。 熔けて行く。 なにも、考えられなくなってくる・・・・・・ 「変な格好ね」 火鉢を二人で囲んで。 散らかったお互いの着物をかき集めて無造作にくるまってる。 右手と左手をしっかり握り合って、白い炭を眺めた。 私はぼさぼさになった髪を気にして手櫛で梳きながら話しかけた。 「私にとっての剣心はね、 私の心の欠片なの。 あなたが居ないと不完全なの。 ・・・ちょっと前まではあなたの全てを手に入れたかった。 今はそんなことは望まない。 あなたを捕まえたいんじゃなくて 私はあなたに、・・・・・ ああ、うまく言えないなぁ」 私は少し恥ずかしくなって笑った。 それはいつからだったのか。 あなたに出逢えたことを感謝します。 あなたがここにいてくれることを感謝します。 あなたと幾ばくかの時を共に歩むことを・・・・・・ 「薫殿はほんとはわかってるのでござるな」 声がした。 よく聞き取れなくて「なあに」と訊ねる。 剣心はついと私の顔を引き寄せて頬にかかる長い髪を優しく耳にかけながら こう言った。 「君が、いてくれてよかった」 小さいけれど はっきりとした声。 気がつくと、泣いていた。 翼が、天に向かって舞い上がる。
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