春の初めに生まれたので、佐保(さほ)と名付けた。
小さな、大切な娘―――・・・





佐保の指先は、サクラ色だ。
細くて小さくて、それでいて生命(いのち)がみなぎっている。
この間までやや薄めの色だった細い髪も、 日が経つにつれてどんどん深い色に染まり。
将来はきっと射干玉(ぬばたま)の、とか形容されるかもしれないなんて思う。

「見ろよ、巴!
 今俺の指握ってる」
はしゃいだ声で、剣心は後ろを振り向いた。
「そういった物を掴む動きは反射的にするそうですよ」
奥から巴が答えを返す。
「反射?こんなに小さいのに?」
「とても小さいからだ、と聞きました」
剣心はどこかしら複雑そうな顔をしたが、 その右の人差し指は相変わらず赤子に握らせてご満悦である。
まだ目も見えず首もすわっていない佐保は、小枝のような指をしっかりと剣心に絡めて 心なしか嬉しそうだ。
「・・・初めて見た時は肌が浅黒くて仔猿みたいだと思ったけど、 どんどん可愛くなっていくな」
剣心はこどもの黒目がちの瞳に、自分に顔を映り込ませて。
佐保の花びらのような耳たぶにそっと触れた。
「不思議だよな。
 寝たか思えばすぐに起きて。
 お腹がすいたのか、むつきが汚れたのか、抱き上げて欲しいのか さっぱりわからないし。
 だけど全然そんなこと苦にならないっていうか・・・この子のためなら」

(何だってしてやりたいと、思ってしまう)

片づけを終えたのか、巴がいつの間にか剣心の傍らに居た。
「――――わたしたちは、この子に“幸せ”をもらっているんですね」
予想だにしなかった答(いら)えに、 剣心は少々間の抜けた顔をしていたらしい。
くすくすとおかしそうに巴は口元を袖で押さえた。
「あ・・・」
照れたように剣心は目を伏せて、 ぽりぽりと頭を掻いた。
「そ、そうなのかな・・・こんな俺にもこの子は・・・」
その声音に混じる、僅かな自虐。
巴はそれを敏感にとって感じ取って、少し淋しくなる。
「あ、ほら、佐保がぐずり始めましたよ」
「え?あ?と、巴、早く抱いてあげたら?」
慌てる剣心を余所に、巴はあ、あ、あ、と声を上げる娘を じっと見つめたままだ。
「巴?」
「・・・わたし」
「なに?」
「さっき大根切ってたんです」
「は?」
「しかも根っこの方」
「え?」
「だからまだ両の指が大根くさいんですよ」
「は?」
巴はお得意のぺたりとした笑みを浮かべ。
剣心へ身体を向けた。
「こどもってきつい匂いは嫌がりますから、あなたが 抱いてあげてください」
「えっ!?」

正直剣心は未だ佐保を抱き上げることが苦手だ。
柔らかいくせに泣くとすごい力で伸び上がるし、 うっかりすると首がかくりとなってしまうし。
足とか自分たちとの肉付きが全然違うし、 何より頭頂部がぺこぺこと柔らかいことが怖くて仕方がない。

「あ、の・・・巴さん?」
「そろそろいい加減に慣れてくださらないと」
「そ、そうだね・・・だけど」
「大丈夫ですよ、さあ」
柔らかな口調ではあるが、どこか逆らえないものを感じて。
剣心はとうとう観念した。
ゆっくりと、丁寧に、どこかぎごちなく。
手足をばたばたさせて「あーあー」と声を上げる我が子を抱き上げる。
不安定な頭を己の肩に乗せ。
ふわふわとした佐保の髪の毛が、剣心の首筋をくすぐった。
心地よい佐保の暖かさに、剣心の頬がゆるむ。
ゆっくりと上下に背をさすれば、佐保の愚図っていた声は やがて聞こえなくなった。
巴はそれを嬉しそうに眺めている。
「さすがです・・・わたしのやっていることをちゃんと 見てくださってるんですね」
剣心は困ったように眉を下げて「当たり前だろ?」と苦笑した。
「まだまだわたしの域には達しませんが、上出来です」
「・・・ありがとう・・・巴サン」
降参とでも云いたげに、剣心は乾いた笑いを浮かべる。
巴はゆっくりと立ち上がると、外の景色が剣心にも 見えるように襖を開いた。
なだらかな稜線が、春の雲に霞んで見える。
ちらちらと白い群れのようなものは、遅咲きの山桜か。

「佐保媛(さほひめ)はきっと、あなたとわたしのところにも 春を連れてきてくれたんですよ」

温んだ微風に、髪を靡かせる巴は、ひどく美しかった。
剣心は少しの間それに見惚れていたが、 やがて巴の言葉の「佐保媛」の意味を理解する。



「・・・春(佐保媛)は、俺たちの幸せの象徴だね」
「はい」
「君と、幸せになりたいと思った」
「はい」
「佐保が生まれて、本当に幸せで―――俺は、怖かったよ」

幸せになりたいと思った。
けれど自分は、それに相応しくないとも思っていた。
欲しくて、それでも諦めて。
そうして、巴がもたらしてくれた自分の望み。

巴は再び剣心の前に来て、膝を折った。
こつりと互いの額を合わせて、そして佐保の背を支える剣心の 手に、そっと己の手を重ねる。



「これから、ずっと」



春が来て、夏が来て、冬が来る。
そして凍みた土を溶かし、肌を切るような風を温ませ。
―――また、春が来る。
生きるということは、もしかして そんな季節の巡りに似ているのかもしれない。
今の、この穏やかな生活はいつか一変してしまうかもしれない。
自分たちの過去が経験が、それを常に胸の奥深くで警鐘を鳴らしている。

これは、痛み。
平穏のいう名の、影にできる痛み。



「・・・ずっと、ふたりで」



この痛みと共に、生きてゆく。







「あら、おとなしくなったと思ったら」
「ほんとだ、寝てるね」
剣心はそうっと巴に娘を渡そうとした。
「はい、交代。
 大根の話は無しだぞ」
いたずらが見付かったかのように、巴は小さく肩を竦めると 慣れた手つきで佐保を抱きかかえる。
「うん、やっぱり巴の方が絵になるよ」
巴はくすくすと笑い返して
「いいえ、きっとこの子はお父さん大好きになりますよ」
そう投げかける。
剣心は驚いたように目を丸くして、やがて頬を赤くした。
「本当に?
 ね、巴、本当にそう思う?」
嬉しくてたまらなさそうな剣心に。
巴は大きく頷いた。
「―――ええ」



わたしがあなたを大好きなように、
きっとこの子も。

だから、笑って



タイトルはあんまり関係ないかもしれません。
ちょっとむりやりっぽい(^-^;
むしろ「春が来た〜♪」の方が似合う・・・?(笑)
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