「緋村くんもようやく落ち着いたようだし、どうじゃ、 ふたりでゆっくり旅を楽しんできたら?」

秋晴れのある日。
巴の父親はのんびりとこう呟いた。
剣心はびっくりしたように茶を啜る義父を見遣り。
巴はほんのり顔を赤くして俯いた。
そして。
「ふ・た・り・き・り、で旅だとぉお!」
少年らしい高めの声が響く。
まっしろな髪が陽に煌めいて、 ついでに、瞳の奥の炎がぎらついた。
「どうしたの、縁?」
巴が不思議そうに立ち上がり、握り拳を作っている 縁の顔を覗きこむ。
すると縁はつい今し方まで燃やしていた炎を 引っ込めて、逆に水分をたっぷり含んだ瞳で 巴を見つめた。
「ね、姉さん・・・!」
「はい?」
「俺さ、姉さんが京都へ発ってからこれまでずぅっと!
 姉さんに甘えたいのを我慢してきたんだ」
「・・・そうね」
「戦争が沈静化して、平和な時間が来たら。
 そうしたら姉さんとゆっくり出来ると思ってたんだ」
「ええ・・・」
ぐぐ。
縁の握り拳はますます固くなってゆく。
「―――さっきの父さんの提案、大賛成だよ。
 みんなで温泉なんかどうかな?姉さん!」

ぶっ

縁の白々しい叫びを素知らぬ顔で見学していた剣心であったが、 思わず口に含んでいた少量の茶を吹き出してしまった。
「オマエ、汚いぞ」
ふん、とバカにしたかのように縁が剣心へと、その 邪悪な微笑みを向ける。
「い、いやすまない・・・」
剣心はしまった、といった表情で 養父や巴に向けてぺこりと頭を下げた。
無論縁には向けはしない。
そんなことは気にせずに、巴と縁の父は 伸び始めた顎髭を何度も撫でている。
「そうさの〜、云われてみれば縁には随分淋しい思いをさせた ことじゃし。
 のう、巴よ」
「はい」
「緋村くんと縁とで、温泉にでも行っておいで」
「わかりました」
「やったー!
 嬉しいよ、父さん!姉さん!!」
「わたしもなんだか楽しくなってきました」
「そうじゃろ、そうじゃろ。
 思えば貧乏で金が無くて。
 どこへも遊びに連れて行ってやれなかったしなあ」
「心配しなくていいよ、父さん。
 金銭は義兄さんが工面してくれるから!」
「おお、そうか!
 まっこと、緋村くんは出来た御仁じゃ」

「あの・・・」

剣心が口を挟む余地はすでにそこにはない。
縁の勝ち誇ったような嗤いが、こっそりと自分に向けられる。
(ちゃんとした新婚旅行もまだなのに)
(巴とゆっくり露天風呂とか考えてたのに)
だが、それは“ふたりきり”ではない。
心の奥でがくりと膝をつく自分を想像して。
剣心は深い溜め息を吐いた。



「籠とか使わないのか?」
てくてくと歩きながら、縁は不満そうに呟いた。
剣心は自分と巴と、ついでに縁の荷物を背負いつつ、 じろりと縁の方を見遣る。
「縁ったら、贅沢を云ってはいけませんよ」
巴が小さい子をめ!と叱るような母親の表情で、 縁をなだめた。
それが結構かわいいので、思わず剣心と縁は ぽかんと彼女の顔を眺めてしまう。
「・・・どうかしましたか?」
反応のないふたりを訝しんで、巴が小首を傾げた。
((ああ、これもかわいいな・・・))
日頃反目している剣心と縁が心の内で全く同じ感想を 抱いたことなど、当人達は知る由もない。
「もう、ふたりともぼんやりして。
 もしかして疲れましたか?」
ちょっとそこの茶屋で休みましょうか、と巴が提案すると 縁は、ふんと鼻を鳴らして首を振った。
「みくびらないで欲しいな。
 このくらいで音を上げたりなんかするもんか」
しかし剣心はこき、と首を曲げながらにこやかに口を挟む。
「そうだな。
 少々小腹も空いたし、休んでいこうか」
「はん、情けないヤツだな」
縁が片眉を跳ねて、にやりと笑った。
剣心は困ったように頭を掻いて「いや、巴が疲れたかな、とか思って」 と弁解すれば、更に縁は「オマエだろう、それは!」と 食ってかかる。
どちらにしても歩みが止まってしまったので、 巴が黄金の微笑みで決断を下した。
「ふたりともいい加減にしてくださいな。
 きっとお腹が空いて怒りっぽくなってるんですよ。
 お団子でもいただきましょう」

      もちろん、剣心と縁に否(いな)はない。



中天に陽が昇り、心地よい風が頬を掠める。
点ててもらった茶は思いの外、美味しくて。
剣心と巴は暫し周りの景色を楽しんだ。
座している巴の横では、団子やら饅頭を食べ過ぎて眠くなった縁がいつの間にか 寝息を立てている。
「・・・かなり疲れていたようですね」
「ああ、まだ子どもだし。
 でもよくがんばっているよ」
「ありがとうございました」
「え?」
「一息ついてくれたのは、この子の為でしょう?」
優しく優しく巴は微笑む。
こんな風に笑まれると、剣心は耳の奥で自分の鼓動の音を聞いてしまう。
「君ならちゃんと応えてくれると思った。
 見事だったよ」

くすくすくす

お互いの顔を見合わせて。
それから店の主人がこちらを見ていないことを確かめて、 軽く触れるように唇を重ねた。
「・・・こんな風に穏やかな日々を迎えられるなんて 思いもしませんでした」
「うん、そうだね」
「縁とあなたが、他愛ないことで口喧嘩できるのはとても 幸せなことだと実感しました」
「うん・・・」
やや目を伏せながら、剣心は彼女の言葉に小さく頷く。
巴はそんな彼の頬に指を寄せて。
その体温(ぬくもり)を共有するかのように、 手のひらで包んだ。
「こんな時間(とき)が、途切れずに続くなんて 思ってませんし、望んでもいません。
 わたしが選んだのは、あなたと過ごす時間(とき)なのですから」
「巴・・・」
己の頬を優しく包む彼女の手の感触を、 心地よく思いながら。
剣心は顔を上げ、不安を滲ませた笑みを返した。
「確かに、国の乱れは落ち着きつつあるけれど。
 俺の選んだ道は終わらない。
 その道がどれ程険しくて困難なものか・・・きっとそれは 想像以上なものだとわかってはいるけど・・・俺は、君、と」
巴は微かに首を横に振った。
その表情(かお)は穏やかで。
「云ったでしょう。
 何よりも誰よりも、わたしはあなたと居られれば       それだけでいいんです」
「巴・・・」
剣心は嬉しそうに瞳を細めた。
そしてもう一度、巴に口づけようとする。
が。

どかっ

いきなり飛んできた拳に、椅子から転げ落ちてしまった。
「い、いたたっ!!」
「あらあら」
剣心と巴が見れば、仁王立ちの縁の姿がそこにある。
「・・・俺がうっかり居眠りした隙に、姉さんに密着しようとは いい度胸だな・・・」

ゴゴゴゴゴ

縁の背後からそんな効果音が聞こえそうだ。
「この卑怯者っ!せ、せ、接吻なんかの前に目覚めて良かったぜ!」
“接吻”という単語に照れてどもりつつも。
縁はへん、と唇を吊り上げて剣心を嘲笑ってみせる。
剣心は殴られた頬を抑えつつ、地面の上にあぐらを掻いて 縁を睨め付けた。
「・・・夫婦(めおと)同士で接吻が悪いか?あ?」
言葉尻にやや抜刀斎が混じっているが、そんなことは気にせずに かかか!と大笑して縁が剣心に人差し指を突き付けた。
「時と場合と周囲の目を考えろ、馬鹿め!」
「おまえこそ、いつまでも姉さん姉さんと・・・」

がたっ

ふたりの云い合いが最高潮になりそうなところで、巴が いきなり立ち上がった。
「「?」」
呆気に取られたふたりに向かって。
彼女は満面の笑みを浮かべる。

そして。

年に数回の彼女の雷(いかずち)が、剣心と縁に落下したのは。
その、すぐ後のことである。

巴さん、最強・・・(*´Д`*)
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