細くて折れそうな足が、乾いた地面を蹴ってゆく。 あんなに小さいのに、とてもそれは力強くて。 子供は元来、そういった生き物だったのだと再確認したりしてみる。 「・・・あなたも、変わりないと思いますけど」 以前それに似たようなことを巴に漏らしたら、そう言われたことがある。 初めて彼女と出逢った時、剣心よりも彼女はやや背が高くて、 体重も自分より軽いんじゃないかと彼女は思ったそうだ。 いつぽきんと折れてしまうのかと冷や冷やした頃が懐かしい、と 笑いもした。 あなたは実際は柳の枝で、しなり方が下手だっただけだ、と。 確かに背丈は低かったけれども。 今では少し剣心も背が伸びて、僅かに彼女より上を行く。 欲を言えばもう一寸でも大きくなりたかった。 ・・・比古師匠とまでは言わないが。 「ほら、お祭りが始まってしまいますよ?」 剣心がつまらないこと(巴からすれば)を考えている間、 巴は子供達のあとを見失わないように顔を前と後ろに忙しく動かしながら 剣心を促した。 「ああ、今行く」 しっかり者の女房に思わず笑みを零して、剣心は足を速めるのだった。 どん 弟が我慢できずに耳を塞いだ。 姉はそんな弟を小馬鹿にしたように小突きながら、まるで空から降ってくるような 花火の傘を見上げる。 たくさんの人々が橋の上や、川縁に連なって、夏の祭りを楽しんでいた。 「これが終わると秋よの」 誰かが感嘆の声と共に溜息をつく。 どん どん 連発で上がる白い煙の帯。 ぱりぱりぱり 火の粉が襲いかかってくるような感覚に堪えきれず、弟は母親の膝に顔を擦り付けた。 「よわむしー」 からかうような姉の声に、剣心はこらこらとたしなめる。 「お前も二年前は怖がってただろう?」 「おぼえてないもーん!」 記憶力は良い癖に都合の悪いことはすぐ忘れるらしい。 顔を上げようとしない弟の頭を優しく撫でながら巴は笑う。 「あ、氷!!」 姉は再び弟をからかおうとしたが、視線の先に「氷」の文字をぶら下げた 屋台を見つけた。 「買ってきたげる。 あんた、好きでしょ?」 姉は弟の袖を引っ張って彼が肯定するまで離さなかった。 「うん・・・」 さっきまで苛められていても所詮姉が一番の遊び相手であることに変わりはないので、 弟はたちまち機嫌を良くした。 まだ赤い鼻の頭を隠すことなく満面の笑みを浮かべて頷く。 それから繋がれた母親の手を引っ張って、「買って良い?」と訊いてきた。 「どうぞ」 幾枚かの銭を握らせて、そして巴は姉の耳元でこっそり囁く。 「・・・お父さんの分も買って上げて」 こくこくと首を縦に振って、姉は駆けだした。 「小さい子ってどうして氷が好きなのかな?」 「さあ? あなたは嫌いですか?」 「いや、昔はそんなの食べたことなかったし。 大体あれは頭の片方が痛くなるだろ?」 本当は巴はそれを知っている。 それでも真面目な顔をしてそんな主張をする剣心はひどく可笑しい。 「熱い物が苦手なのは猫舌っていいますけど・・・冷たい物が苦手なのは どういうんでしょうね?」 「・・・犬?じゃないよな・・・・・・」 「犬よりも猫の方が冷たいのも苦手ですよ」 「え?本当なのか。 じゃ、猫舌でもいいのかな・・・」 そこまできて、やっと剣心は恥ずかしげに巴を振り返った。 「巴、おもしろがってるだろ?」 くすくすと優雅に口元を隠して、巴は続けた。 「あなたは時々、真剣な顔をして子供みたいな言い回しをなさるから・・・」 「だけどなー、あれってほんとに痛いだろう!?」 「はい、そうですね・・・」 白い喉元が、震えている。 ああ、やっぱり笑ってる・・・・・・ そういえば巴は結構ずけずけと物を言う質(たち)だっけ。 頭を掻きながら、剣心が俯くと、ずいっと目の前に冷気が立ち込めた。 「・・・・・・」 音に例えるならば、おそらく金属片を叩き合わせたようなキンキンとした 音が鳴るに違いない。 剣心の目の前には冷えた水滴をたっぷり付けた、椀があった。 白く透き通った、氷の小さな破片。 所々崩れているのはおそらく水密をたっぷりとかけてあるからだろう。 「おとうさんの!!」 毎日毎日顔を会わせている愛しい愛娘がへらっと笑って 剣心の前にかき氷を差しだしている。 「おかあさんと一緒に食べてね。 こっちはあたし達で食べるから」 剣心が椀を受け取ろうとしないので娘は母親にちょこんとそれを渡すと もうひとつのかき氷を弟と食べ始めた。 「・・・う」 自分以外の人がそれを口に運ぶのを見ているだけで 頭痛がしてきそうだ。 冷やされて、味覚が麻痺した舌で、さも美味しそうに 元はただの水を飲み込んでゆく。 「どうぞ、あなた」 ちらと横目で隣を見遣ると、巴が匙に大盛りにその氷の山を盛って 待ちかまえていた。 「早く頂きましょう。 せっかくですのに溶けてしまいます」 「・・・う、ん」 「ぐずぐずしてたら、次の花火がどんどん打ち上げられてしまいますよ?」 巴は能面のように無表情でそう言い放った。 腹の底では笑っているくせに、表にはまるで出さない。 彼女が十代の頃、無表情が常であったことがこういう時に活かされているのか。 「さあ」 くだらない論を展開して現実逃避している場合ではないことに やっと剣心は気付いた。 キンキン、キンキン、幻聴を盛大に奏でながらその氷の山は近づいてくる。 「はい、口を開けて」 にっこり。 巴が滅多に見せない満面の笑み。 釣られるように剣心の唇が開いた。 「・・・・・・っつ」 頭を抱え込んで剣心は蹲る。 どん どん ぱりぱりぱりぱり 盛大な歓声を上げる観衆の中で痛む頭を抱える剣心と 花火の音に怯える彼の小さな息子だけがしゃがみ込んで目元を潤ませていた。 一口食べると、巴はどんどんと剣心にかき氷を掬っては差しだしてきた。 挙げ句、娘まで嬉しがって(彼女は純粋に喜んでいたのだが) 今にも零れそうなほどのかき氷を匙に乗せて「どーぞ、どーぞ」と 彼の口に運ぶ始末だった。 おかげで頭痛は治まることなく、最悪なことに次から次へと襲ってきて、 とうとうへたり込む結果となった。 「ひーん、ひーん」 彼の隣で泣いているのか唸っているのか解らない、か細い声が聞こえる。 自分の息子が、自分と同じようにしゃがみ込んで頭を抱え込んでいるのをみると 自然剣心には滑稽で仕方なかった。 「なんだかそっくりだよなあ」 遺伝子の素晴らしい力。 「よく似てますね」 頭のすぐ上から、愛しい声が降りてきて。 剣心は上目遣いで彼女を見た。 巴はいつもの母親の笑顔でなくて、剣心だけに向けられる『女』の顔を して、微笑っていた。 苦手な癖に、彼女が勧めると氷を全て平らげてしまった剣心が 巴は好きだった。 男の子が好きな女の子を苛めるように。 そっと屈み込んで剣心の頬を包み込んで 「痛いの、治りました?」 極上の声音で巴が気遣ってくれたので それが嬉しくて剣心はひとまず頭痛のことは忘れて立ち上がり、 現金に微笑み返した。 「子供達はあなたに似てくれればいいと思います・・・あなたみたいに・・・」 「ん?」 「・・・・・・・・・」 巴は言葉の先を紡がずに、すっと腕を伸ばして彼の髪を一房掬った。 彼女の白い指が、色素の薄い髪の間を滑る。 赤い、髪。 こんな華奢な容姿で、それでいて他人(ひと)のために熱くて。 異端の色をしているけれど、とても似合ってる色。 「綺麗」 剣心は目を丸くして、それから大きく瞬きをして、 意味が解らないと告げた。 それでもそれが誉め言葉であることは推測がついたのか 顔をやや赤くして、照れ隠しのように娘に声を掛けてみたりしている。 「おとうさんとおかあさんって『阿吽』だねー」 娘は知ったかぶりな澄まし顔で喋る。 「どうして?」 問う剣心に娘は自分の頬を両手で包みながら 「見ててはずかしくなるものー」 と肩を竦めた。 女はこんな小さな時分からませてるのか、と剣心は天を仰ぐ。 巴は娘に接する時間が長いだけ慣れているのか 仕方がないといった表情で笑いながら座り込んだままの息子を抱き上げた。 どん どん ぱり、ぱりぱり きゅううと母親の首にしっかり抱きついて相変わらず 弟は花火の音から我が身を守っているようだった。 けれどそれは恐い、大きな音から母親も一緒に守っているのかもしれない。
| |