「出掛けようか」

目線を合わせないまま、剣心がぼそりと呟いた。
「は?」
良く呑み込めなくて、巴が訊き返す。
「・・・飯塚さんに用事を頼まれた」
まだ、合わない目線。

「あの―――」
「一緒に」
彼女が二の句を継いだところで、それを阻むように振り向いて。
剣心がはっきりと口にした。
少し、驚いて。
ああ、不器用だなと微かに瞳を細めて、巴は彼の次の言葉を待った。
ぽり、っと頭を掻きながら俯いて「あー」と低い声を落とすと、 今度は剣心は目線を合わせた。

「一緒に、出掛けないか。
 女連れの方が目立たないし―――それに」
「それに?」
「気分転換しろって、飯塚さんが」

面映ゆそうに、それでいてぶっきらぼうに言い終わる。
サラサラと赤みがかった髪が肩から揺れた。
陽に焼けてない肌が、色の薄い瞳が、綺麗だと思った。
だから巴はゆっくり頷いて、わかりました、と答える。

ここ数日はふたりのやりとりはそんな感じで、飯塚などが見たら あまりの子供っぽさに舌打ちするんじゃないかと剣心は思う。
だがどうしても巴を前にすると普段は冷め切った自分の思考が浮き足立って、 同時に温かな何かが胸の奥で光り出す。
それが何かは理解はしていたけれど、それにふさわしい言葉で彼は形容をせずにいた。
剣心が己に明確に言い聞かせるのは『天誅』という人斬りに対する、言い訳だけだったのだ。



「そういえば」
「なんだ?」
「この宿から遠出するなんて、初めてです」

今頃気付いた、そんな感じで瞳を丸くして小首を傾げる巴の仕草に 剣心の鼓動がとくんと、音を立てた。







京の街の賑やかな界隈を抜けて。
剣心と巴は前後しながら歩いていた。
彼の歩く速度は速くない。女の自分に合わせてくれているのだと すぐに解る。
そして、それが自分の為であることが彼女の心を浮き立たせる。

斬らない、と言った。
わたしだけは「斬らない」、と。

その誓いの言葉は巴を揺さぶるに余りある、言葉だった。
純粋で。
優しくて。
躊躇っていて。
迷い続けながら、なおかつ・・・人を、斬る。
そんな少年が自分を何が起ころうと『斬らない』と誓った。
何が起ころうと。

数歩先を行く細い背中を見遣りながら、巴はふるふると首を振った。
何を、自分は考えているのか。
彼がそう誓ったところで、己の全てが彼にばれた時、 自分が彼から赦されると考えるなんて随分と虫がいい話だ。
そしてその考え自体、彼女が剣心に惹かれていることを肯定していることに 気付いて、ぎくりとする。

(わたしは)
(敵 (かたき) を)
(この人は、敵)
(憎いから)
(この、哀しい人を)
(・・・わたしは)



「此処だ」
ふいと立ち止まった剣心に驚いて、漸く巴は思考の袋小路から 抜け出た。
振り返った剣心は酷く驚いた様子の巴を訝りながら、 言葉を続ける。
「此処だよ。頼まれた物を受け取るのは」
「・・・呉服問屋、ですか」
意外そうな彼女の表情に顔を綻ばせながら、剣心は先に店にはいるように 促した。
「だから、俺ひとりじゃ嫌だったんだよ・・・」
小さな声で素早く囁いて。
ふわりと彼女の目元が優しくなる。
時折覗かせる、年相応の彼の少年らしさは彼女にしてみれば “狡い”表現、だった。



白髪頭の主人は剣心の用件を聞くと直ぐさま反物を手に取った。
鮮やかな山吹色の『黄八丈』の絹織物がそこにあった。
「・・・へえ・・・」
初めて見たのか、剣心は感心したように巴を振り返った。
「随分と良い物ですね」
頷きながら巴も感嘆する。
「代金はいただいております。
 では確かにお渡ししましたよ」

藍染めの風呂敷に包まれた、黄金色の反物を剣心は おっかなびっくりで受け取るとそそくさと店を出た。
「駄目だ」
「はい?」
「ああいったきちんとした場所は慣れてなくて緊張する」
細い眉を眉間に寄せながら、剣心がぼやく。
「そうなんですか?」
純粋な疑問符と共に訊き返す巴に、剣心は笑いながら答えた。

「俺は、何も知らないから」

農家の幼子がぽんと放り出された世界は、最初に血と刀で始まった。
無論巴はまだその事を知る由はなかったが、 それでも彼がどうして何も知らないまま此処に居るのかは、 単純な事ではないと悟っている。
「・・・・・・」
言うべき言葉が見つからず、巴は黙って目を伏せた。



ざわざわと人々が通りすがる。
物売りの声とはしゃぐ子供の声と姦しい女達のおしゃべりと。
そんな喧騒が何故だか時折途切れては、通りを吹く風の音だけになる。
駈け抜ける風の音に釣られるように、顔を上げて晴れた空を 見上げると、白銀の陽光の放つ熱が瞳を突き抜けるような気がした。

「暑いな」
「はい」
「巴さんは・・・」
「はい?」
「ああいった色合いは好きなのか?」

何のことだか、すぐに解った。
彼の提げている包みの中身。
―――黄金(こがね)の色に縦横に走る黒い縞の、反物。

「好きですけど、わたしは実際あまり着ない色合いです」
「見るのは、好きか?」
「ええ」
「女の人は、みんなそうかな?」
「・・・そうですね」

一度も振り返らずに、剣心は矢継ぎ早に訊いてくる。
なんてくだらない会話なのだろうと思いながら それはとても楽しい一時だった。
「この反物、どなたが・・・?」
「あー・・・、俺も詳しいことは・・・
 でも多分、幾松さんかな・・・」
「!」
幾松が、桂小五郎の想い人であることは巴も知っていた。
だから今、何故剣心が俯いて首を赤く染めているのか、合点がいく。

大人の、男女関係を思い描いた途端に赤くなるなんて。

数度瞬きして、巴は人並みの中をするすると移動してゆく 背中を凝視した。
何気なく、掌で胸を押さえてみると、とくとくと早鐘を打っている。
・・・それが彼の鼓動を映したものであることに 気付いた時。





巴は剣心と自分の距離が、目に見えているそれよりも ずっと近しいことに、愕然とした。





(暑い)
だから、顔が火照る。
(熱い)
太陽光が身体を貫く。

咎人同士でも、こんな陽射しの下で、こんな会話で
―――――並んで歩いてるわけでもないのに―――どきどきしている。
可笑しくて、可笑しすぎて、
嗤えない。





「あ」
剣心は急に立ち止まり、そして巴に庇の影で少し待つように告げ、 足早に雑踏に消えていった。
やがて戻って来た彼の手には小さな折り鶴が握られている。
「これ・・・?」
両の掌から少しはみ出るくらいの、赤と黄色の鮮やかな鶴。
「あ・・・!」
間近で見て巴はやっとそれが二羽の連鶴だと知る。
色違いの鶴達は右と左の翼が繋がっていた。
つまり裏と表の色が違う和紙一枚で、見事に折られていたのである。
「そこの境内の奥で、おじいさんが子供に折って見せてるんだ。
 時間のかからないものを、って頼んだら」
早口で喋りながら、巴の手の中の鶴達を指差す。
「それをくれた。
 『妹背山』っていうんだそうだ」
「妹背・・・?」
「ああ。変な山の名前だよな」
「・・・・・・少しは読書なさった方がいいですよ?」
「え?」



真っ赤な鶴と黄金(こがね)の鶴と。
対称的な色の折り鶴が寄り添って、繋がっている。
それは、たった一枚の紙の裏表で作られているのだ。

じっと折り鶴を見つめている巴を剣心は 心許なげに様子見している。
彼女がこんな玩具を気に入ってくれてるのかどうか解りかねているのだ。

(まるで)
(あなたと、わたしみたい)
(うまく、いえないけど)

「暑すぎますね」
「・・・巴さん?」
「暑くて、こんな事考えてしまうんですよ、きっと」
(あなたとわたしが妹背山の鶴なんて)
無表情に折り鶴に向かってぼそりと巴は呟くように言い捨てた。
そしてゆっくり顔を上げて、剣心の瞳を見据える。
むっとした空気に、白梅香の香りが一筋燻った。


「頂けるんですか?」
白くて小さな瓜実の顔が、綺麗すぎて、剣心は戸惑う。
「あ、ああ。
 その黄色が・・・反物の色に似てたから」
するりと零れた優しい言葉に彼女は―――『人斬り』でなく、彼本来の姿を鑑みる。
こんな些細な事が降り積もって、まるで根雪のように 彼女の裡にどんどん膨れあがってゆく。



とくとく・・・・・・・・・暑くて、鼓動が早くなる。





「ありがとうございます―――・・・嬉しいです」
その時点で、彼女に出来る精一杯の微笑みだった。
「あ、ああ・・・」
瞠目して、瞬きして、それから彼も微笑った。






まだまだ陽が高くて、眩しいから。
もう少し歩こう。
ふたりで。


タイトルつけかねて、苦し紛れです(^^;
剣心、巴に何かを買ってやる予定だったんですが
タダの折り鶴を手渡すだけ・・・!!なんて情け無い!!(爆)
しかもあんまり仲良くしてないですねっ。
約束破りはいつものこととはいえ・・・すみませんでした(T.T)
え〜、妹背山(いもせやま)に説明は要らないですね・・・?
ね?(めんどくさがり/笑)
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