その夫人は上品な白百合の柄の着物を見事に着こなしていた。
きちんと結い上げた黒髪。
白い項の後れ毛が仄かな艶を放っている。


「いつの頃からなのか・・・」

低めの、耳に心地よい声だった。
微かに眉間に皺を寄せた表情もその美しさを何ら損なうことはない。

「わたくしは“影”をずっと感じてきました」

「影?」

夢幻魔実也は優雅に脚を組み直すと躰をやや夫人の方に向けた。
切れ長の眼がじっと彼女を見据える。

「そ・・・う、影のようなもの、というべきでしょうか。
 はっきりとした正体は分からないのです。
 ただ、常に視線を感じます。
 時にはすぐ側にいることすらわかります。
 でも視覚では、はっきりと捉えることができないのです」

夫人はすっと顔をあげて魔実也の方へにじり寄った。

「主人が亡くなってからというもの、
 ますます強くなってくるのです。
 まるでわたくしを追いかけて
 そして最後には鷲掴みにしてしまうような・・・」

いつしか夫人の白い手が魔実也の左手を固く握っている。

「ああ、わたくし“影”に捕まってしまいます。
 何故か決して逃げることなどできないとわかります。
 もう怖ろしくて怖ろしくて昼も夜も心休まることがないのです・・・」

紅い唇から血の気が退いて少し色が悪くなっている。
華奢な肩を震わせて夫人は本当に怯えているようだった。
魔実也は優しく抱き留めると夫人の耳元で囁く。

「・・・確かに“何か”が存在するようだ・・・」

びくりと夫人は顔を上げた。
自分を支える男からは何の緊張感も感じられない。
だが彼女からはみえない彼の眼光は鋭く部屋の片隅を見つめている。

「・・・・・」

視線の先には蒼白く光る物体が在った。
形状は人の女性型によく似ている。
その眼窩は大きく落ち込んで黒い闇がぽっかりと覗いていた。
まるで肉の落ちかけた髑髏のようだ。
眼窩の下の口らしきものが何かを叫ぶように大きくゆっくりと裂けてゆく。
声はしない。口腔内は歯も舌も見えない。
やはり闇色の穴がうつろに覗くだけだった。
片腕らしき物が徐々にあがりどろどろとした発光体を 滴らせながら夫人の方へあまりに不自然な伸び方をしてゆく。
その時。

「ああああ・・・っ」

夫人は声をあげ、魔実也に抱きつく。

「お願い・・・、お願い、助けて!!」

腕はどんどん伸びてあわや夫人の着物の帯に届くのではないかと 思われた。
すっと魔実也の右手が出てその腕を掴む。
“何か”の腕は魔実也に掴まれた部分から熔け続ける蝋のごとく 浸みだし、逆に彼の手首から肩へ延びていこうとした。

「よせ」

静かだが有無を言わせない力があった。
腕の動きが瞬間、止まったかと思うとさらさらと砂のように 砕けて見えなくなった。


「あ・・・」
夫人は背後に迫っていた気配がいなくなったことに気付いた。
しかし極度の緊張が解けたせいかふっと気を失う。
仕方なく魔実也が抱き上げた拍子に結わえられた髪が解かれ、 はらりと落ちた。
年の頃は三十過ぎだと聞いていたが、皺ひとつない目元に 魔実也は感嘆した。

「・・・これはよくできている。
 さぞかしたくさんの男が釣れるだろうな」

夢幻魔実也は男にしては妖艶すぎる笑みを薄く掃くと 失神した夫人のために彼女を抱いたまま寝室へと足を向けた。

客間を出たところで今度は首がぱっくり半分ほどひらき、そこから だらだらと大量の血を流す中年と思しき 女が両手をぶらんと下げて立っている。
気に留めることなく魔実也はすたすたと歩いてゆく。
焼けただれた女、躰がねじれた女、両手足のない女などが 次から次へと現れてくるが 魔実也は一瞥を送るだけで意に介さない。

寝室に入り、夫人をベッドに横たえたが そのベッドの脇には腹部から内臓をはみ出させている少女が 足元を赤黒い血の池に浸からせて立っていた。

「おまえはどうする」

かくんと大きく首を曲げて少女は魔実也に問う。
無視して魔実也が部屋を出ようとすると 彼の黒い右袖を強く引く者があった。

「待ってください・・・!」

いつの間にか目覚めた夫人が懇願する。

「おいていかないで・・・そばにいて・・・」
たおやかな白い手を魔実也の首に巻き付けて その扇情的な唇を近づける。

甘い体臭。
絡みつく黒髪。
割れた着物の裾から覗く艶めかしい脚。

深く唇を重ねながら魔実也は夫人の背後に立つ少女を見る。
少女は更に首をかくんと傾けてにたりと笑った。





洋館の門を出ると一人の青年が走り寄ってきた。

「夢幻さん!!」

まだ幼さの残る顔立ちでやや息を切らせながら問いかける。

「どうでした、あの女?
 やはり怪しかったでしょう。
 父が死んだのはあの義母(おんな)のせいに違いないんだ!」

紫煙をくゆらせながら魔実也は黒い外套の襟をたてた。
青年は何も言わない魔実也を不審そうに眺める。
やがて魔実也は億劫そうに口を開いた。

「・・・彼女自身は潔白だ」

それを聞いて青年は唾をとばしながら叫ぶ。

「嘘だ!!
 父と結婚する前にもあの女、三回も結婚してる。
 しかも父を含めて皆変死だ。
 いつも何かに怯えるふりをして、男をたらし込んで
 飽きたらきっと殺してるんだ。
 彼女が無関係な訳はない!」

ふうっと煙を吐きだして魔実也は青年を見た。

「無関係とはいってない。
 いいか?真実はこうだ。
 彼女がいつも怯えるモノの正体は彼女自身の守護霊だ」

「え?」

あまりの答に青年は呆気にとられた。
かまわず魔実也は続ける。

「彼女には先祖からのかなり深い因縁が纏わり付いている。
 それも悪い方のな。
 常人にはみえないが、彼女の周りは見事に女ばかりの怨霊の 見本市みたいなものだ」

話の内容と、それを事も無げに話す魔実也の両方に 青年は怖ろしくなりごくりと喉を鳴らした。

「だが曲がりなりにも彼女にも守護霊がいる。
 彼女を守護するためにそいつは彼女を美しく磨き、 そしていつも不安の中にいるように彼女を怯えさせる。
 怯えている彼女は男に庇護を求め、うかうかとそれにほだされた男は」

そこで魔実也は目を細めた。

「彼女の代わりに、
 彼女の因縁を受ける」

「こ、殺されるのか・・・?怨霊に??」

青年は顔を蒼白にしてかたかたと震えだした。

「実際、僕も言い寄られた」
「だ、大丈夫なんですか?」

肩をすくめて魔実也は答えた。

「・・・怯えてる女は好みじゃないんでね。
 それに死人とはいえ、ああも人目があるんじゃな」

そして不意に立ち止まると
「君はどうする」
と、声を掛けた。

「え・・・」

訳が分からないという顔をした青年を見て 魔実也は意地悪く微笑んだ。

「あれはかわいそうな女だ。
 少しでも優しくしてやったら
 あの美しい夫人はすぐにでも君のものになる。
 ・・・君はどうする?」

青年の顔にさっと朱が走った。

魔実也は何事もなかったかのように再び歩み始め
立ち竦む青年を追い抜いた。


ああ、わたしってどうしてこう色気のある文章が書けないんでしょう(T.T)
TENKOさんごめんねー、えっちくなくて(^_^;)
まみーも、もっとかっこいいのに。しくしく。
しかもこわくないし。しくしく。
[Back]