梅にも春の色添えて

若水汲みか車井戸

音もせわしき鳥追いや

朝日に繁き人影を

もしやと思う恋の慾

遠音神楽や数取りの

待つ辻占や鼠啼き

逢うて嬉しき酒機嫌

濃い茶が出来たらあがりゃんせ

ササ持っといで






小用の帰り道、梅の木にうっすら雪が彩られていた。
まだ青くて硬い蕾が寒そうに、それでも力強さを失うことなく、 幾つか空を仰いでいる。
ああ、梅だ、そう思いながら それを口ずさんだのは本当に無意識だったのだ。
まさか声を掛けられるとは、彼女は思いもしなかった。



「へえ、巴ちゃんの唄、初めて聞いた」

明良はぼんやり道端に佇む彼女の背後から、明るく声を発した。
彼女はびくんと肩を震わせて、思わず手に持っていた風呂敷包みを 落としてしまう。
・・・声の主が清里明良であることはすぐに解った。
赤の他人に聞かれるよりも彼女には恥ずかしいことで、振り返ることも出来ずに ただ硬直してしまう。

「・・・巴ちゃん?」
ぴくりとしたきり、動かない巴を不審に思って明良はもう一度声を掛けた。

すうっと息を吸い込んで、目蓋を一回勢いよく開閉して、ようやっと巴はぎこちなく、振り返る。
相変わらず、堅苦しい表情をしているが、彼女の耳朶が真っ赤に染まっていた。
明良は巴が実は人見知りで、恥ずかしがり屋であったことを失念していたことに やっと気付いた。

「ごめん、ごめん。
 いきなり声を掛けるなんて失礼だったね」
明良は巴を安心させるように、穏やかに微笑み、彼女が落とした荷物を屈み込んで拾い上げた。

「・・・明良さま」
拾って貰った荷を受け取りながら、おずおずと巴は訊ねる。
「何?」
明るく、それに答えて。
「本当に聞いてらしたんですか?全部?」
「・・・うん。上手だったよ」

消え入りそうな声で問う彼女に明良は優しく、そして真摯に答えた。
恥ずかしさで固まっていた彼女は、彼のそんな態度に漸く落ち着きを取り戻していった。
そしてふと、 ああ、明良さまこの前よりも低い声になっている、と唐突に気付く。
俯いたまま、視界にはいるのは袴から覗く彼の足元で、
それはこの間会った時よりも、太く逞しく成長しているように見えた。
そんなことを考えていると巴は胸が締め付けられるような感覚に 襲われて、再び恥ずかしくなってくる。

そのまま顔が上げられなくなった彼女の様子を眺めていた明良は、 彼女には気取られないようにそっと柔らかく眼を細めた。
幼なじみの、大人びた外見の女の子は、 内面は相変わらず不器用な子供だった。
それを自分は手に取るように理解できる。
彼の微笑には安堵と自信が、同時に覗いていた。

「巴ちゃん」
「はい?」
「一緒に帰ろうか」
「・・・何処かへ行かれるんじゃないんですか?」
「手習いの予定だったんだけどね、先生が急用で、  暇が出来たんだ」
「・・・・・・はい」



最近の明良は武芸だ、塾だ、と忙しくなり 巴とは頻繁に会わなくなってきていた。
ご家人の次男坊だからこそ、人より秀でなければ、ただの家の厄介者に なるばかりだ。
だから彼も今必死なのだとは巴は理解している。
―――それでもやはり、淋しいものは淋しい。
ああ、なんて我が儘なのかと、反省して。
そして偶然出逢えたふたりのこの時間を、大事にしたいと思い直し、 彼女はやっと顔を上げて、微かに笑む。

この頃少し頬が削げて、少女から女へ確実に脱皮しようとしている彼女の、 己に向けられる笑顔はまだ無防備すぎた。
だから明良は、彼女を出来うる限り守ってやらねばと考えている。
互いを意識し始めた頃から、ずっとそれは変わらない。
しっかり者だった母親を早くに亡くし、頼りない父に代わって 家の中を切り盛りして。
口うるさい親戚と何度も応対して、やがてそれが子供特有の表現力を彼女から 喪わせてしまったことも、 彼は知っている。

・・・知っているから、彼は巴を守ろうと誓った。

だが彼は文においても、武においても、自分が平均以下であることを自覚していた。
それ故に自分に焦りがあることも、解ってはいた。
けれど。
何よりも最優先なのは彼女を守ることだった。
彼女が何を最優先としているのかは、視えなかった。
ただ、不器用な、優しい少女が、大切だっただけなのだ。



「巴ちゃんが、端唄なんて意外だったなあ」
「そう、ですか?
 お裁縫の先生の家の近くで聞こえてくるものでつい耳に憶えてしまって・・・」

連れだって久方ぶりに歩くふたりの肩は、大人の頭ひとつ分の落差があった。
細い肩を過ぎてゆるりと結ばれた彼女の漆黒の髪が、凍てついた空気を揺らす度、 愛しい気持ちが積み重なる。
真っ白な肌に、真っ赤な耳朶。
こんな彼女が花街の恋の唄を口ずさむことが可愛くて。

「“鼠啼き”かあ。
 今度やってみようか」
「・・・・・・え?」

『鼠啼き』は男女が逢い引きの合図に使う。
さすがの巴もそれは知っていたようで瞳を丸くして、立ち止まった。
「ほら、君のお父さんはいいけど、縁がウルサイから」
「あ、あの・・・」
其処から先は言葉が繋げずに、巴は小さく口をぱくぱくさせるしかなかった。
は、ははと涼やかに明良は笑い、すたすたと彼女の先を歩む。
大人に近づく彼の背中を見遣り、両手でそっと頬を包みながら、 巴は自分の鼓動が跳ね上がる音を聴いていた。

多分、この男性(ひと)と自分は、幸せになれる。
――――――そう、信じていた。

彼が、自分を大切にしてくれていることは明瞭で、確実だった。
人が人を想うことで生じる焦りや、不安や、矛盾は、
まだ知る由もない。





「早く、暖かくなるといいですね」
「冬は嫌い?」
「・・・やっぱり花が良いです。
 わたし、雪は白すぎて、苦手なんです」











朝日に繁き人影を

もしやと思う恋の慾


ちっとも「橙」から成長してないふたり(爆)
無意味にらぶらぶ(^^;
そして、やっぱりブラック清里・・・ヘ(__ヘ)☆\(^^;)
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