ころころと転がり出た飾り鈴を巴は手に取った。 殆ど何も持たずに出てきたというのに一体どこから紛れ付いてきたのだろう。 小さく振るとからからと乾いた音がして思わず彼女は柔らかな表情(かお)に なる。 「君のか・・・?」 先程まで仮眠していた剣心が不意に声を掛けた。 無造作に伸ばされた色素の薄い前髪が邪魔で、彼の瞳は殆ど見えない。 それでも整った唇が機械的に動くのは解った。 「昨日、部屋の片隅に落ちてた」 「そうですか・・・・・・」 「大切な物?」 ふたりとも既に、お互いを直視してはいなかった。 それでも何故か相手がどんな表情をしているのか、解るような気がしていた。 「はい。母の形見のひとつです」 「・・・そうか」 早く土から出てきたのであろう、遠くで蝉の声がする。 日に日に増す暑さを、羽を震わせ助長する。 巴は長い髪を耳にかけて再び針を布に運び始めた。 ―――それは自分でも驚くほど穏やかな気分で。 昨日。抜刀斎が「斬らない」と告白したときから。 彼女の中の、何かが変化していた。 「巴さん」 ひとりの男が彼女に声を掛けた。 小萩屋に居る長州の志士のひとりだろう、とは思うが 名前も解らない青年だ。 彼は人の良さそうな笑みを浮かべて 袂から小さな袋を取り出した。 「・・・何でしょう?」 「これ、あなたにと思って」 くいっと彼女の手首を掴んでその掌に袋を握らせる。 その手触りでそれが貝の形をしていることが判った。 「あの・・・」 「いいから!ちょっとしたツテで手にはいっちまったんだ。 俺が持ってても仕様がないし、な!」 困ります、と口を開こうとした巴を無視して青年は慌てて奥へ入っていった。 瞬く間に消えた背中の方向を見遣りながら、 半分呆れつつ巴は袋の中を覗く。 そこには美しい色合いの蛤が口を閉ざして収まっていた。 「紅(べに)・・・」 そういえば暫く化粧することもお座なりになっていた。 だがそれとこれとは別問題である。 巴はどうやってこれを返そうかと考えあぐねて、 溜息をついた。 「おい、見たぞ」 飯塚は自分の部屋に入ろうとした青年の襟首を後ろからひょいと摘んだ。 「い、飯塚さん!?」 「おめえよお、あの娘にちょっかい出してんのか?あん?」 にやにや笑いながら、飯塚は青年の脇腹を小突く。 「な、な、なんです?関係ないじゃないですか」 赤い顔をして青年は煩そうにその手を払った。 「あの娘(こ)は止めとけよ。 ・・・緋村に睨まれたくねえだろ?」 飯塚の、その細い眼が笑っていない。 それに気付いて青年もはっとした。 「まじ・・・ですか」 「へっへっへっ」 意地悪そうに唇を歪ませて、飯塚はぽりぽりと顎を掻く。 「お前、気付かなかったのか。 さっきのあれ、緋村が見てたぜ」 ごくり、と青年が喉を鳴らした。 「ど、ど、どうしましょう」 「ま、これで手を引くことだな まだ緋村もそう熱くなってねえみたいだし」 呵々と笑いながら飯塚は彼の背中をどん、と叩いた。 ころん、鈴が落ちた。 屈み込んでそれを拾って、巴に渡す。 「・・・よく落とすな」 小さな赤い鈴は巴の白い手の中に収まって、くぐもった音を響かせた。 「昔から、なんです。 失ったと思うとひょっこり出てきて」 「君は・・・」 「はい?」 どうして此処にいるんだろう。 喉まで出かかった その疑問を剣心は口にすることはなく。 先程巴が強引に青年に渡された、錦の小袋のことを思い返してみたりした。 次の言葉を待っていた 巴は、自分の目の前で突っ立ったまま動かない彼を不思議そうに眺めて、徐に 彼の固く結ばれた髪の先を摘んでつんと引っ張ってみる。 「・・・痛い」 「あ、良かった。ちゃんと反応できるんですね」 「・・・・・・」 「もう一度引っ張っても良いんですか?」 綺麗に動く、彼女の口元にばかり目が行った。 微かに跳ねる真っ白な喉元の隆起に、鼓動が早まってゆく。 「あの?」 「巴さん」 「はい?」 いきなり彼女の手を取って、そのまますたすたと剣心は自分の部屋に入ってしまった。 そして彼女の手を離さないまま、すとんとその場に座り込んでしまう。 当然つられて巴も膝を折って座る形になった。 「あの?」 「・・・何も言わないで、このまま今日はここにいてくれ」 「まだ後片付けが」 「いいから」 不可解と言ったように首を傾げる巴の手を漸く離して、剣心はさっさと部屋の隅に行ってしまう。 そしていつものように片膝を立てて、刀を抱えたまま、目蓋を閉じる。 「緋村・・・さん」 小さく呼んでみても返事はなく。 怒ったような、戸惑っているような、不機嫌そうな表情(かお)で彼は 仮眠を始めた。 「緋村さん」 最早彼に聞こえなくても構わないような声で。 もう一度彼の名を呼び、反応のないことを確認すると 巴はそのまま裁縫を始めることにした。 暫く繕っているうちに彼女は ふと袂の紅の入った貝を思い出し、明日には返さなくてはと考える。 そして、先程帯に結んだ赤い鈴をまた外して。 眠る彼の近くにそっと置く。 彼がまた気付いて拾うように。 自分に渡してくれるように。 ―――ふたりとも、 己のその行動に答を見つけようとしていない、頃。
| |